大キナ青イ花モエテマス。
数日前に回答させていただいたもの。オープンして下さったので、いつものように転載する。
あなたが心揺さぶられた詩歌を教えてください。
プロアマ問いません。
WEB上に公開されているものはそのURLを。
そうでないものは書籍のリンクでお願いします。(作品タイトルを挙げて頂けるとうれしいです。)
#自信のある方は自作でも。
- それに対する回答(11/2)
いかりのにがさまた青さ
四月の気層のひかりの底を
唾し はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
詩文としての完成度は非常に高いです。それは石を磨き完璧な玉を象るという質のものではなく、むしろ、粗暴とさえ言えるような力のある語句と見るものを幻惑させる彩なす語彙によって編まれた鮮烈かつ艶やかな言葉の錦、そう述べるのがふさわしいような密度があると思います。
一方で描きこまれた詩人の生涯のテーマは、まだこの詩の時点では未熟と言う他ありません(文芸としての掘り下げの意味でなく)。わたしの勝手な解釈ですが、「修羅」を抜け出そうとして、自分の求めるものを必死の努力で追い求め、だがそのこと自体が彼を「修羅」に突き落としている。彼自信そのことに気がつきながらもどうすることもできない「修羅」の苦悩と孤独、「修羅」であるおのれの姿を春の林の中で見つめると目が眩むような錯覚に陥る。そんな「修羅」としての詩人の姿がこの中には織り込まれている気がします。
この詩が素晴らしいのは、「修羅」でしかあれないおのれの姿を今は噛みしめながらも、後にそれを脱していく道がわずかにも感じられることではないでしょうか。賢治は最晩年に至り、この「修羅」を脱し「アメニモマケズ」において語られるような「デクノボー」の境地に至るのですが、この「春と修羅」は最初期の詩のひとつでありながら、「(このからだそらのみぢんにちらばれ)」という詩句の内には、彼を「修羅」に貶めるがむしゃらなだけの自己犠牲の精神ではなく、我執を捨てただ「デクノボー」でありたいというような心情が映っているようにわたしには読めます。
- http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/card1058.html
- http://why.kenji.ne.jp/haruto_f.html(ie5.5以上で縦書き表示できるそうです)
- http://www.library.pref.iwate.jp/iliswing/network/ihatov/no7/html7/b1/index.html(原本の最初の10pあまりを見られます。賢治が生前刊行した唯一の詩集。ISBNはこれの復刻版になります)
トテモキレイナ花。
イツパイデス。
イイニホヒ。イツパイ。
オモイクラヰ。
オ母サン。
ボク。
カヘリマセン。
ヌマノ水口ノ。
アスコノオモダカノネモトカラ。
ボク。トンダラ。
ヘビノ眼ヒカツタ。
ボクソレカラ。
忘レチヤツタ。
オ母サン。
サヨナラ。
大キナ青イ花モエテマス。
夭折し、生前は同人の中での聞こえは高かったものの世にはほとんど知られていなかった宮沢賢治を世間に広く紹介し名声を高めたのは、この草野心平なのですが、彼自身また非常に優れた詩人でもあります。名のある詩人たちはみな早くに亡くなっていますが、彼自身はかなり長生きをし生涯に渡って多くの名詩を残しました。これは比較的若い頃に書かれたもので、小品ですがこの詩人独特の、自然と世界の雄大さとそこから対象に一息にクローズアップしていく切迫感の味わえる佳作です。また彼は若い時に賢治を知り、多大な影響を受けています。とりわけ賢治の浮き立つ鮮やかさがありながら背景に溶け込む落ち着いた詩句を学び、見慣れた景色がふとした見方で異世界へと転換する草野独自の色をちりばめるような極彩絢爛の言葉遣いへと昇華させている点は特筆に価します。
この詩についても、取り囲む果てなく広い壮大な自然を背景に予感させつつ、「ボク。 / カヘリマセン。」と子蛙のところまで焦点を墜落させる凝縮された詩句は見事です。蛇にくわえられた子蛙の見る「大キナ青イ花」のさまは、凡庸なわたしなどが当たり前に見ている風景が実はそんなに当たり前のものではなくて、この子蛙に突如訪れた「ヘビノ眼」のような死を孕んだ異界ともいえるような景色なのだと訴えています。
油で黒ずんだ 舗道に へばりついたガムのように
慣らされていく日々にだらしなく笑う俺もいて
寒いな畳のにおい
優しい人やっぱりやだな
しっかりなんてできないけど
僕はここにいた
草野つながりということではないですが、スピッツの草野正宗の書く詩はなかなか凄いと思います。まだ分からないことも多いのですが、そう簡単には書けない言葉を語れる人だという気がしますね。いわゆる「詩人」と目されている人(文芸としての詩を書いている人々)と比較しても、独自の言葉の体系を持っているということで言えば現役の詩人などの中で彼に勝る人はそうはいないと思います。音楽としてどうかは分かりませんが(わたしは好きですが、何しろ音楽はさほど詳しくないので)、単に詩として見た時の魅力だけで十分以上に勝負できる質があると思います。
もちろん、文芸としての詩として書かれたものではないわけで、その意味で普通の詩として見た時にこれはどうしようもないというものもありますが、およそポップスのバンドの曲につけられた詩とは信じられないほどの質のものが散見するのは確かです。言語センスの良さということに尽きるのでしょうか。それもかなり異質、偏執的、変態的と述べて良いような独特の言葉のセンスを持っています。そういえば虫とかの変態が好きですね。
半ば狂へる妻は草をしいて座し
わたくしの手に重くもたれて
泣きやまぬ童女のやうに慟哭する
――わたしもうぢき駄目になる
意識を襲ふ宿命の鬼にさらはれて
のがれる途無き魂との別離
その不可抗の予感
――わたしもうぢき駄目になる
狂気、死、別離、孤独、その妻の姿を見つめ続けることしかできない自分の姿、どこまで行っても妻どころか自分自身を救うこともできない絶望感、これだけ重たいものを妻に聞かされる耳をおおいたくなるような言葉「――わたしもうぢき駄目になる」に込めた詩人の力。だがそれほど凄絶なものであっても、その語り自体はどこか遠くから眺めるような冷ややかさが漂っている。いや、冷ややかであることでしか語れないようなものを語ろうとする詩人の執念があるというべきか。うまくまとまらないのですが、わたしはこの詩は凄いと思いました。
Out, out, brief candle,
Life’s but a walking shadow, a poor player
That struts and frets his hour upon the stage
And then is heard no more. It is a tale
Told by an idiot, full of sound and fury
Signifying nothing.”
William Shakespeare 『Macbeth』5.5.22
消えよ、消えよ、燭台の炎よ
人の一生などうつろう影に過ぎぬ。
人生の舞台に立たされた大根役者は
気取り歩いたり、思い悩んで幕を進める。
やがて、その声が聞かれることは二度となくなる。
それは白痴の語る物語、何の意味もない響きと怒りに満ちた物語
他、いろいろ好きな詩もあるのですが、洋ものでは(あまり外国語詩はよく分からないのですが)シェイクスピア『マクベス』五幕五場22行”Out,out,...”からの六行は素晴らしいと思います。人生を舞台に喩えるというこの詩人好みのモチーフを使い、だがその人生は白痴の物語に過ぎないのだと述べ立てる。短い蝋燭の上に揺らめく人生の炎に向かい、「消えよ、消えよ」と言うマクベスは、彼自身が何の意味も意義もないような偶然の物語の登場人物に過ぎないことを悟り、自分を舞台に上げたものへのせめてもの怒りを露にする。彼の言葉も怒りも、だが白痴の口から漏れ出したものと同じ、何の意味もなさない響きと怒りに過ぎないとも知りながら。この人生観はわたし自身大いに共感させられるものがありました。*1
長文失礼致しました。
- 回答にいただいたコメント(11/3)
宮沢賢治3票目(なんとなくカウント続けてみます)
どうも彼について誤った認識をしていたようです。exhumさんの回答を読んでそう思いました。
「智恵子抄」は読みたいと思いつつ、二の足を踏んでいました。
その、(悪い方に)影響を受けそうな気がして・・・
草野正宗さん。ちょっと普通の人には真似できない言語感覚を持っていると思います。
詳しい解説ありがとうございます。読み応えありました^^
そういえばオーブンに頭を突っ込んで自殺した詩人なんてのもいたなあ。
あなたが他人のブログに期待することは何ですか?(^_^)
3つ挙げてください(^_^)
よろしくお願いいたします_(._.)_
- それに対する回答(11/1)
こんにちわ。URLはダミーです。
1.書いている息遣いが感じられること。
→そのブログの向こうには生身のにんげんがいて、その方は、もちろん見えはしないしどんな人かも想像する以上のことはわからないのだけれど、何かを見たり、発見したり、ちょっとした出来事につきあたったり、それで考え、思い、悩み、それをそれぞれの自分自身の言葉で文字にする、そんな息遣いの感じられるようなブログがわたしは好きです。
2.面白い文章
→実は1.とほとんど一緒のことかもしれません。うまい下手や、あるいは量、語彙、文語で書いているか、口語で書いているか、顔文字とかを散らして書いているか、あるいは2ch語で書いているか、そうしたこととは全く関係ありません。どんな作法で書かれていても、その人なりの文の面白さ、そしてその文に対する書き手のスタンス、距離の取り方、観察の仕方、が面白いものが好きです。平均的な人などいるわけもなく、みんなどこかしら変わったところは持っているはずなので、その変わったところ、あえて言えば変態的・気狂的なところを、どこかで見せてくれるような文の面白さでしょうか。
3.着眼点
→とくに話題になったこととか時事ネタはいろんなところで取り上げられます。でも、それをその人なりの見方、切り口で見せてくれている人は面白いです。
他に、どうしてもブログはその人の生活範囲や趣味範囲に偏りがちですが、どこかひとつの分野のことばかり語っているものではなく、いくつかの範囲のことにまたがって語られているようなブログがわたしは好きです。
長々と失礼致しました。
- 回答にいただいたコメント(11/4)
ありがとうございます(^_^)
息遣い・文の面白さ・着眼点ですね(*^_^*)
いくつかの範囲でですか〜(^_^)
なるほど、頭では解りましたが実践で出来るかですね。ぼちぼち頑張りたいと思います(*^_^*)
*1:訳は私訳。かなりいいかげんに流して意訳してます。ところでわたしの記憶の中では"brief candle"を"burning candle"と覚えてました。今回調べた本の他、異同があるかもしれません。また回答の際は付記していなかった原書のISBNリンクを追加しています