誰でもない彼ら

 9/16「彼女からの距離感」の続き。


 春から症状はこれ以上ないほどに酷くなっていった。人と会い、話すのはほとんど耐えられなくなった。その一方で、誰かに会いたい、話したいという欲求もたまらなく強くあるのだった。春になり、実際に人と会う機会はそれなり増えた。だが、会いたい人と会える機会は少なくなった。夏には辞めてしまうことになるのだが、塾講師のバイトなどで外に出るようにはなった。多い時は週の半分ほど入っていたはずだ。だがそこで出会うのは誰でもない人々でしかなかった。彼らと会うと、わたしは決められた話題だけを話す。事務員とさぼりがちな生徒への対処について、そして出欠の報告。教室で漸化式から一般項を導くパターン、次の時間には英作文の常套手段、名詞化処理について。最後に塾主催の合宿への勧誘をひと通り。帰り際に宅浪生への接し方について諸注意を受ける。バイトでなくても同じようなものだった。すでに用意されている情報をただ機械的に伝達するだけだった。話すのはわたしでなくてもよかったし、それを聞くのは彼らでなくてもかまわなかった。誰でもない人間がだれでもない人間たちに情報を渡しているに過ぎなかった。だがこうした既製の言葉であれば、こんなわたしにも喋ることができたのだ。
 それは求めているものではなかった。だがわたしは何を求めていたのだろう? 当時のわたしにそれが分かっていたのだろうか? 恐らく分かってはいなかっただろう、その乾燥した情報の通信が違っているということだけは感じており、ただ他愛ない日常のやりとりや意味のない時間潰しの会話の中に、自分が希求するものがあるような気がしていた。しかし、そのようななにげない雑談をできる相手とは、わたしは全力で自分を作っていないと接することができなかった。それを自分でどうにかすることはできなかったと思う。いや違う、全力でなければ自分を保てなかったのだ。他人と接する時に取るべきふさわしい距離を、そうでもなければわたしは保てなかったのだ。だからわたしは、彼らが目の前にいる時ですら、ほとんど彼らを避けているような態度を取った。そんな自分を作っていることにわたしは消耗しきっていた。わたしは自分から人々を遠ざけた。本心では求めているにも関わらず、自分から離れていった。
 そうしたことに疲弊したのか、春から夏にかけてどんどんわたしはおかしくなった。人前に出るといつものように自分を演ずる。それ自体が、まさに演じているその時でさえ、わたしを自己嫌悪に陥らせた。自分を作ることにもどうしようもなく疲れ果てた。一方では誰かを求めていたにもかかわらず、この頃からほとんど誰とも連絡を絶った。大学にはほとんど顔を出さなくなった。携帯の電源を切ったまま半年ほど入れなかった。普段使っていたメールアドレスはパンクさせたまま放置した。
 アパートに戻ってもその自己嫌悪は続いていた。自分を作っていること、本当は人を求めているにも関わらず遠ざけてしまうこと、したくもないクールな演技をし続けていること、そんなことを考えると吐き気がした。わたしは自分が求めていることすら、自分で認めることができないのだった。独りではいられないくせに独りになろうとする自分、独りになりたくもないくせに独りになりたがるふりをする自分を呪った。下宿で一人、自身を責めさいなむ自分ですら、何かの演技をしているのだった。部屋は地獄だった。時間はどうやっても過ぎてゆかなかった。わたしは丸まった姿勢で彫像になり、そのまま静止していた。空気すら止まっていた。ぶつぶつと内側から自己嫌悪の泡が沸騰する。誰にも聴こえない声で、ぶつぶつ、ぶつぶつ。動かない時計の中でいつまでもいつまでも。わたしは閉じ込められた部屋の中で一人でそれに耐えていた。のしかかる天井が重たく感じた。永遠にわたしの上に落ち続ける気配がした。わたしの左手に座った闇はどんどん密度を増やしていった。明るいとその分辛かった。部屋を暗くしていた。電燈も数本が切れたままになっていた。ほとんど何も食べなかった。時々思い出したように煙草を吸った。静かだと辛いのでいつもエンドレスでCDをかけていた。コンポが壊れていてなかなかCDはかからなかった。トレイを飲み込んでしばらくキュルキュルと咀嚼した後、CDが入っていないと主張する。もう一度トレイを吐かせてすぐ戻す。キュルキュル。かからない。キュルキュル。これを二十回ほど繰り返してやっとコンポが歌い出す。一度かかってしまえば、CDの回転を止めない限り問題はない。一時停止にしておけば音は消えてもCDはまわり続けているので、この二十回が面倒で一度入れたCDをずっと聴き続けた。*1いっそラジオでもとは思ったのだが、音楽の合間のトークがわたしには辛かった。誰でもない人間に語り続けているDJを聞くと吐き気がした。結局同じ音楽ばかり数週間も続けることもざらだった。変わらないメロディーがいつまでも流れていると、よけいに時計は進まなくなった。だが、音がないのはそれ以上に辛かった。何かをしていればまぎれるだろうと思ったが、ほとんど何をする気力もないのだった。本を読んでいる間は、少しは色々なことを忘れられることもあった。しかし読み終わるとその分だけ我に返った時が辛かった。その辛さを忘れようと、すぐ次の本を読んだ。繰り返しているうち読むものもなくなった。それからネットゲームをするようになった。まだ気力のあった冬頃に興味を持って取り寄せていたものだった。意識して自分を作らなくとも、前提として何かを演じざるを得ないネットの世界はこんなわたしには楽だった。仮想のつながりでしかないことに寄りかかっていれば、他人との距離は当たり前に保てる。自覚的に強制して自分を演じていなくとも、なにげなく人と接することのできる世界は画期的だった。それに甘えてわたしはその世界に居着いていった。そうして画面に向かうわたしの背後には、それは仮想でしかないよ、と常にささやき続けるわたしもいた。その事実を追い払うように、一層わたしはのめりこんでいった。回線を切ると毎回途方もない虚無感に襲われた。そこが温かい世界であっただけに自分の現実に戻るのは耐え難かった。逃げるようにわたしは回線をつなぎ直した。そうして夏になった。
 春が過ぎても彼女は時々わたしの元を訪れてくれた。彼女が来てもわたしは一人の時と同じように彫像のままだった。何もできず座り込み一言も喋らずに目を見開いたまま数時間動かない。話し掛けられても曖昧な答えしか返せなかった。あるいはネットの世界に入り込んだまま戻らなかった。こんなわたしを彼女は悲しそうに見つめていた。その様子を見るのは辛かった。だがわたしは、このわたし自身の無間地獄に彼女を引き込む自信はなかった。独りで苦しむべきもの、せめて他人を巻き添えにしてはいけないものと思っていた。わたしからは電話もほとんどしなくなった。彼女の方から下宿の固定電話に連絡があっても、来て欲しいとすら言わなくなった。そうして緩慢に彼女がわたしを見限るのを待ったのだろうか。だが確かにわたしは彼女を必要ともしていた。そんなわたしですら、彼女が来ると少しは楽になりもした。何をするわけでもない、ただそこにいて、時々話し掛けてくれるだけで。彼女も苦しかっただろう。苦しめているのはわたし自身の地獄だった。わたしはほとんど気まぐれに彼女のそばに行き、何も言わずその手に触れたりもした。彼女の目を見ると、そのあまりの距離感に眩暈がした。同じようにわたしを見て彼女も相当辛かっただろう。わたしは卑怯だ。差し伸べられた手を振り払い、同時にそれを求めていた。誰も巻き込まず独りで苦しむのだなどと自分に言い聞かせ、だがそれを全うできず人の手を求めてしまう弱虫だった。部屋を出て行く時はいつも、乾涸びた彫像になって固まるわたしを背後から、両腕で強く抱きしめた。わたしは何も応えられなかった。彼女が扉を開けると外光の角材が部屋に横たわる。また来るからね、と行って彼女が去ると再び部屋は薄暗くなった。


 10/31「悪夢の本体」に続く。

*1:おかげで一層ソニー嫌いに拍車がかかった