悪夢の本体

 9/7「棘」より書き出したのだが、どうしても語り終えることができずに、いまだに放ってあることがあった。書き始めた時にはこれほど長くなってしまうとは思わなかった。せいぜい二段落かそこらでまとめ、本題の夢のことの方を語るつもりであった。これは本題ですらないのだ。ただその時に見た夢を語るためには、あらかじめ説明しておかなければならない去年の出来事についてのことで、それを簡単にまとめてしまうだけのつもりであった。だがどれほど言葉を進めようとしても、つまずき、引っかかり、歩き続けることができなくなり、ついには立ち止まってしまう。この中にある何かがわたしの足にしがみつく。どれほどそれを書こうとしても、語らせまいと喰らいついてくる力がある。だが、そういうものであるからこそ、わたしは何を犠牲にしても語らなければならないのだろう。


 9/18「誰でもない彼ら」の続き。


 五年は昔のことだろうか、何に当たったかは分からないが吉田神社の節分祭で食中毒になり救急車で運ばれたことがある。食あたりの気分の悪さというのは特有のもので、発汗は無いが全身が蒸し上げられたように上気して見えるもの全てが歪んでしまう。身体の感覚もおかしくなる。真直ぐに立ち、ただ歩くだけのことができない。自分の皮膚の感覚では、両足が裏返しについている。胴の途中から体が捩れている体感がある。腕も肩から生えているのではなく、どこか自分と関係の無いところ、へたり込んだ床のどこからか巨大な蘇鉄の芽にも似て生えてきているようだ。だがつま先や指先に視線をやると、歪んだ視界の中であれ確かに真直ぐに四肢はついている。見えている事実と皮膚感覚との大きな齟齬が全神経を狂わせる。胃腸で暴れる毒よりも、この捻転にわたしはむしろ吐気を覚えた。
 去年の夏、天板から太陽の熱気に蒸し上げられた腐りかけの空気とともにこの部屋に閉じ込められて、わたしの皮膚の下に埋まっていたのはその中毒の嘔吐と同族のものであっただろう。日常は悪夢と地続きだった。起き上がろうとすると目が眩んで立っていられなかった。必要のある時は部屋の中を這いずるようにして移動した。そしてたいていの場合には、動くことすらせず固まった姿勢のままでただ静止していた。上も下も、部屋の奥に目をやっても、あるいは背後を振り返っても、見つめたその先に自分の体が落下していく感覚に襲われた。耐えられなくなっていつも目を閉じた。そして再びまぶたを開き、床を見てもそれが下だと認識できなかった。漏斗のくぼみがわたしを見つめていた。凹んだ顔は汚れた微細な突起に覆われて、顔の両脇から粉吹いた腕をこちらに伸ばす。わたしはその穴の中に吸い込まれていく錯覚を覚えた。自分の口から身体が裏返った。魅入られてしまうと、目を閉じることも逸らすこともできなくなった。かけっぱなしのオーディオが相変らず同じCDを回し続けていた。その空洞を中心に視界も円運動を止めなかった。咽から咳き込み身体中に痙攣が伝わった。するとその世界も痙攣し、無機質な砂色の光景に変わった。ようやくわたしは目を閉じることができるのだった。そのうちに電燈を消したまま生活するようになった。時間は進まなかった。同じ一日が何度もやって来た。空気は灰の味がした。手探りで飲み物を探した。床を舐める手の平がいつも乱雑に崩れた文庫の山に当たった。取り上げた本はその前日、そしてさらに前の日に、見つけたものと同じだった。同じ場所で同じように転がっていた。同じページが折れていた。前にそれを見たときから時計が進んでいないという感覚に襲われた。食べるものも飲むものも毎日同じようだった。今が昼なのか夜なのかすら分からなかった。どこかから聞こえる騒音はいつも同じ音だった。スピーカーが回す楽曲も常に同じ声だった。時間は同じところを繰り返し続けた。いつも耐え難く暑かった。それなのに汗は流れなかった。汗をかかないわけではない。それは皮膚に染み出して、そのまま乾いた油になっていた。輪転機のドラムに染み付いた粘つくインクの肌触りだった。身体を作る繊維の一本一本が淀んだ大気に絡みつきそのまま部屋につながっているように思われた。しみの浮いた壁紙はわたし自身と溶けあって、目を閉じて自分の腕を感じるように部屋のどこにも神経と機械油が流れていた。わたしは標本箱に銛で貫き止められた蛾と同じだった。何もかもに眩暈がした。身体も時間も狂っていた。
 そんな悪夢も実際には日常と地続きであるのだった。むしろこの発狂した生活の中で平凡な日常に覚めてしまうことこそが、最悪の悪夢だったと述べるべきだろう。日常と地続きであることの中にこの地獄の本質があった。こんなわたしにも、時折、この循環する狂騒から放たれて、日常的な感覚にふと返ってしまうことがある。自分の手足は当たり前にここにある。時計は確かに進んでいる。ぼんやりと定まらぬ目で窓を見やれば日は翳り始めやがて夕方になろうとしている。わたしは部屋の中でそれを眺める。わたしがさっきまで見ていたのは、だが、時の止まった捻転する転輪機の世界だったはずだ。そのあまりの隔たりが、中毒の吐気と同じものをいつもわたしに催させた。それは確かに地獄だった。わたしにとっての平常である悪夢の感覚と、当たり前の常識的な日常と、二つの世界にわたしの脊髄は引き裂かれ、五感の亀裂がわたしの、わたし自身との親和力の全てを破壊した。それは悪夢から覚める時に特有の圧倒的な暴力だった。悪夢は、その中身自体が悪夢なのではない。そこから現実に無理やり引き戻される時の強烈な精神の乖離こそが悪夢なのだ。その嵐は自己が自己であることをやめさせる。折に触れて訪れるこの平凡な観察がこの世界で一番残酷な地獄だった。嘔吐感は耐え難かった。わたし自身が異物であった。わたしの身体感覚は破滅の力でわたし自身から引き剥がされて、無理やり異質物とさせられたわたし自身に拒絶反応を起こすのだった。わたしが吐気を催しているのは、わたし自身に対してだった。この混乱から身を守るようにして、わたしは悪夢の感覚へと繰り返し逃げ込んだ。それは感覚とすら言えなかった。むしろ無感覚と名付けた方が正確だろう。悪夢の中では全てが無茶苦茶に狂騒してわたしは眩暈にとらわれる。だがそれは全てガラス板の向こうで進行する光景なのだ。その中でわたしは自分自身を背景から見つめ続ける観客に過ぎないのだった。この繰り返しこそが本当の地獄だった。
 夏が終わり秋になろうとする頃から、彼女がやってくる頻度は減った。週に一二度が月に数度の割合になり、だがそれでもわたしの元を訪れ続けた。それについてわたしは何も尋ねなかった。見限られたのだろうと思い、そしてまた見限る方が彼女のためにはよいことだろうと考えた。わたしの地獄に誰かを巻き込むわけにはいかなかった。それはわたし一人のために用意されていた煉獄で、その中で身を焼かれるのは自分だけで十分だった。みんなそうなのだろうと思った。誰も他人を助けられない、もちろんわたしも彼女を助けることはできないのだ。だから彼女がわたしから離れていくのを何もせずただ見届けようと思っていた。繰り返す吐き気の中でそれだけは自分に言い聞かせ、身体の中に刻み込もうとした。わたしはきっと弱い。目を見ると、差し伸べられた手にすがりつきそうになってしまう。わたしは彼女に背を向けたまま、ガチガチと鳴る歯を噛みしめて石になって固まっていた。目を閉じると墜落する暗闇が怖かった。わたしはまぶたを開いたままで、何も見ないように自分の意識を殺そうとした。わたしは彼女に助けて欲しいと言ったことはなかった。来て欲しいとすら言わなくなった。そのわたしの肩に向け、もう来ない方がいいの、と彼女は尋ねた。わたしはちゃんと答えられなかった。口を開くと彼女を頼ってしまいそうになった。あたしには助けられないよ、と響かない声が肩に当たった。わたしの元へ通うのを新しくできた彼氏が嫌がるのだと彼女は述べた。月に数回出張に出る男の留守を見計らって訪ねて来てくれていたのだ。わたしは何も答えなかった。どうしたらいいの、どうして欲しいの。わたしは何も答えられなかった。苦しいよ。押さえた息の音が聞こえた。わたしは痙攣し暴れる奥歯を必死になだめ、来てくれると嬉しいよ、と言うのがやっとだった。結局わたしは彼女の手を振り払うことも握ることもできない臆病者でしかないのだった。また来るからね。彼女は背を向けるわたしを力いっぱい両腕で抱えて、いつもそう言って去っていった。