つまらない話

 先週、教授の親戚に不幸があり突然休講になったので、そのまま集まっていた院生たちとお茶を飲んだ。院の演習だったので、わたしを含めて同じ研究室の所属学生ばかりで皆知った顔だった。五名くらいか、お茶を飲んだのは正確には四名で、一名はビールを飲んでいた。知った顔という意味は、わたしが一人昼間からビールを飲んでも何も言わないということだ。二人はケーキを食べていた。このくらいの人数の集まりというのはえてしてそういうものなのだが、実際に五名全員で話しているということは少ない。たいてい二名と三名とかの少ない組み合わせでそれぞれ勝手に喋っている。気が向くとわたしも口を開く。ここしばらく調子が悪く、聴いているだけのことが多い。黙って彼女らの話す内容と、容姿と衣服、それから手の動きとスプーンの使い方とのちぐはぐさを観察している。目の向き、手の使い方。今年の春にどこかの大学から院にきたその学生は、「文学をやっている院生」らしく、何か高尚めいた話をしているようだ。だがコーヒーカップの褐色の液をかき回す彼の指には文化がない。たるんだ顎を引きぼとぼとと聞いたような言葉を落とす。仕草の割には太った五指で耳の上の短い髪を持ち上げて、彼の左手の側にいる聞き手に向き直るのだが、女はケーキの切れ端を口に運ぶのに夢中で彼の言葉は聞いていない。あ、ごめん、なんだったっけ。彼女は菓子の脂肪を前歯とくちびるに塗りこみ続ける。医療器具を扱う手つきでケーキを潰し、強調された胸を避け、スプーンを口元に持ち上げたままでふんふんと聞いているふりの相槌を打つ。ふふんと笑った男はコーヒーの受け皿に目を向けたまま、ご自慢の舌を動かし始める。女の舌は彼の言葉を拾わない。灰皿を手繰るわたしに向かい、食べますか、と崩れたケーキの断面と喉をこちらに向ける。わたしは煙草の箱を掴んだ手で否定のサインを送るが、むしろそれはあっちへ行けと言っているようだ。ぐるぐる舌を回していた男も、顔の割に貧相な目をこちらに向ける。彼の薄ら笑いはいつの間にか消えている。氷水でも飲んだのだろうか。わたしの左の二人は入ったときから勝手に喋りあっている。男は彼女たちに向かって、初めて買ったCDは何かとテーブル越しに声を投げる。おいしいですよ、ここのケーキ。でもこれ、ビールにはあいませんかね。わたしは嫌味と煙の混じった息でふんと笑う。洋楽のCDが二名、日本のアイドルが一名、あとは忘れた。わたしはなるべく訊かれないように、適当に話題にのったふりをする。だが、ツッコミと感想が四名を一周した後に、どうなんですか、と興味はないが聞かなければならないという調子で、二人のうちの一人があらためる。クラシックの何かだったと思う。仕方なくわたしが答えると、へえ、とそれ以上何を言ったものか分からないという表情でテーブルの時間がしばらく止まる。小学校の冬の休みに、わたしはCDラジカセと、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲ニ長調を買った。貴族的ですね、と、その男がたるんだ薄ら笑いを向ける。ふつう、みんなはロックとかアイドルなのに、なんだか貴族的ですね。わたしは殺意と自己嫌悪とをあらわにする代わりに、たまたま、CDを買った頃によく聴いていただけだよ、とぬるくなってすべてが抜けたビールを喉に流し込む。もう少し前であったなら、せめて軽蔑くらいは見せることもできたはずだが。彼のもの言いはわたしの何かを激昂させる。嫌悪と自己嫌悪との奥深い源泉を真実突き刺したのだろう。それから何もなかったように(それでいい)、組み合わせの変わった二組でまた話し始める。そのうちに三人はバイトや授業で帰ってしまう。夕食時も近くなり、残った一人とファストフードでハンバーガーを食べる。どうも最近食欲がない。おいしいものを食べたいとは思うのだが、いざ食べようと思うときには何でもよくなってしまう。今日もコンビニのおにぎり二個と一緒に買った野菜ジュースで済ませたはずだ。彼女は抜けているがときどき鋭い。自分自身をよく分かっているのだろう、しっかりしているところもある。ところどころがてらてらと透明になった紙袋の獣肉を片づけてしまった頃合に、脂で汚れた指先でさっきの話題を引っ張り出した。彼のコメント、面白かったですね。何かを知っている滑らかな口ぶりにカロリーいっぱいのコーラを流す。きみたちからどんな風に見えているか知らないが。かすれ気味の前置きでそれでも構えを作ろうとするわたしに、そんな風に見えてます、と砕けた氷にストローを抜き差し、立てる音はがしゃがしゃと肌寒い。そんな風に見えてます、タバコも、格好良いから吸っているんじゃないですか? 悪意というよりは面白がっているその顔色を、受け入れてしまわないくっきりとした弱々しさで、眉ひとつ動かさぬ真顔を作りわたしにできる最大真剣な全否定を探す。でも、なんのためらいもなく女物のパンツを頭にかぶり、おっぱい大好きと声を上げながら踊ったこともある。それで彼女は声をあげて笑う。昔のサークルの恒例の行事で、深夜に大学の図書館の前に集まって、大量のビールとどこで集めたのか数百枚の下着を配り半裸の男たちが踊り狂った。コンサートを終えた夜、女の子たちが帰った後で、招いた他大学のサークルの歓迎にそんなことをしていたはずだ。別に今でもできるだろう、とやぶれかぶれの冷静さと面白くもないという口調で言うが、わたしが保ったものまでは彼女の目が届くこともない。