締まりのない夢の話

 だらだらと長い夢を見た。寝たのが十時過ぎ、目覚めたのが零時をやや越えたくらいなので、ちょうど二時間ほど睡眠を取ったことになる。最近のわたしの睡眠時間はだいたい一日二時間から四時間である。
 幽霊の出てくる夢、細部が妙に子供っぽい、設定は幼稚としか言いようがない。わたしは、今PCに向かっているこの部屋にいる。寝るのも同じ部屋である。わたしはいくつくらなのだろうか、わからない。体格的には大人、少なくとも十五、六は越えているはずだ。だがしていることや考えは子供の、むしろ幼児のものだった。ちなみにわたしの実年齢は二十代後半である。
 この部屋に自分と同じくらいの年齢の人びとがたくさんいる。ざっと見た限り五、六人、京都の学生用の下宿としては大きな方だとはいえ、五六人も入るとかなり狭い。男性の方がやや多い。彼らもわたし自身と同じように体格的には大人だが、言っていることやしていることは子供のそれである。わたしのいる位置から死角になっているあたりに、まだ人が隠れていそうである。
 その部屋にいるのはみな仲間ということになっていた。われわれは得体の知れない幽霊に襲われている。ともかく、幽霊ということになっていた。しばらくあとで判明するが幽霊は二体いる。
 わたしは部屋の隅で一人の男を押さえつけている。彼は右手のひじから先が折れている。折れている、つまり骨折しているということに夢の中ではなってはいたが、ひじから先が取り外せるので折れているなんてものではない。切れていると言う方が正しい。これも幽霊のせいらしい。その男は半狂乱でわたしに踊りかかってくる。わたしは必死で彼を押さえつけている。幽霊のせいなのだが、彼の中では腕が折れたのはわたしの責任になってるようだ。ともかく腕に添木をさせてくれとわたしは彼を押さえつけようとする。腕の切れ目からは骨がのぞいて見える。血は一滴も流れていない。壊れた陶器の、ちょうど割れ目の周りの小さな破片がなくなってしまうように、彼の腕も切れ目周辺の肉がところどころで欠けている。これはくっつかないかもしれないな、と内心思う。お前のせいだ、スポーツ選手になりたかったのに、この腕ではどうにもならない、どうしてくれる。怪我人とは思えぬ力でわたしにむしゃぶりついてくる。この男に例の幽霊がついているのかもしれないとも思う。
 部屋にいる人々は腕の取れた男も含めて、その幽霊に対して団結した仲間ということになっていたが、誰一人として知ってるものはいなかった。名前も顔も分からない。押さえつけている男にしても同様である。わたしが彼と必死で格闘してるというのに、残りの人々は取っ組み合いにも彼の腕がもげていることにも無関心である。まるでわたしに彼の世話を一任して、他の仕事をやっているようだ。実際彼らは集まって、部屋の隅にホログラム様に浮かんだ宇宙図らしきものを眺めている。それはどこかの銀河のようにも、タバコの煙を流したようにも見える。えんじ、赤、紫、暗いけれども鮮やかな色をしている。それは幽霊の住処を映したものらしい。この世界では幽霊は宇宙に住んでいることになっていた。


 話は逸れるが、実際わたしの幼少時代、この世で一番怖いものは宇宙であった。無限に広がる荒涼とした空間にちっぽけに自分の住居が浮かんでいる。子供向けに宇宙の話を書いたものを読んで以来、幽霊やお化け、雷、そんなものよりも宇宙が一番恐ろしかった。子供の頃見た一番恐い夢はみな宇宙に関するものだった。木星や太陽に近づいただけで重力に引き込まれてぺしゃんこにされると信じていた。


 これから幽霊のいる場所に入る、と一人が言った。わたしは男を押さえつけるのにそれどころではなく、誰か手伝ってくれないか、せめて添え木でも持ってきてくれないかと思いながら聞いていた。ほとんどドラえもんの世界だが、わたしの部屋はそのまま宇宙船にでもなっていたらしい。
 幽霊の住処についたのだろう、いつの間にか場面転換して屋外にいた。今思い返してみると、それは子供自分によく一人で遊んだ、アパートに挟まれて日の差さない、狭苦しい公園の景色と同じだった。あれほどいた仲間たちはいつの間にかどこかに消えて、そこにいるのはわたしと、例の腕の取れた男だけだった。彼は既に落ち着いていた。どうやら、幽霊の件はもう解決していたらしい。男の背後に幽霊が浮かんでいた。その時は気づきもしなかったが、まるで幽霊がそこに現れるのがさも当たり前のように、恐いともまったく思わなかった。幽霊は、霧か煙かでできたようなヒト型で、1メートルほど浮かんでいた。意外にはっきりとした輪郭で、顔かたちもしっかり分かる。落ち武者のような姿であった。古びた刀を差していたが危害を加えようという様子はない。明瞭でない舌回しで、刀がどうこうと言っているが、何を言いたいのだか分からない。どうも呆け老人のようだ。
 例の男は、やはり幽霊が憑いていたのだろう、何があったか解説してくれた。どうやらこの幽霊ともうひとりの幽霊とが争っていたらしい。どんな曲折があったか知らないが、幽霊たちも和解して、すべて円満に解決したとのことだった。そう話す彼の腕は付け根から、いかにもという感じのロボットアームになっていた。いつの間にか落ち武者の幽霊はいなくなっていて、わたしは彼と並んで歩いていた。舗装されてない砂利だらけの駐車場を通り抜け、スポーツ選手になりたかったなと彼が呟いた。わたしたちはそれから何も言わず泣きながら並んで歩いた。幽霊とか宇宙とかのごたごたはもう全部終わったのだなと思った。結局彼が誰だったのかは分からない。
 そのまま二人で人気の無い道を抜け、山手に入る道に出た。左右は田んぼで街灯もなく薄暗い。ここはわたしが子供の頃に何度も通った古い道で、今は様相ががらりと変わってしまったが、この道を山の方へ上がっていくとわたしの実家がある。その山の側から女の子がひとり歩いてくる。彼女はわたしが実際に所属している研究室の後輩で、そのことは夢の中でも認識していた。大学関係者がわたしの夢に登場することは覚えている限りほとんどない。彼女でやっと三人目ではないだろうか。初登場がこんなのでまったく申し訳ないのだが、彼女には幽霊が憑いていた。隣を歩いていた彼が、それに気がつきロボットアームをガタガタ鳴らして震えはじめる。彼女に憑いているのはお岩さんの霊だという。四谷怪談のお岩さんと同じものかは知らないが、彼が言うにはわたしたちが苦闘の末に撃退した(幽霊と苦闘した覚えはないが)落ち武者の霊など比較にならないほど恐ろしい、強大な幽霊らしい。彼女がわれわれのところにつくより早く、彼は尻尾を巻いて逃げてしまう。わたしも正直逃げてしまいたいところだが、彼女を見捨てるわけにもいかない。どうしたらいい、どうしよう、と思っていたらまた場面が変わる。
 気がつくとわたしは美容院にいた。そこは美容院ということになっていたが、実家にある母の店とまったく同じつくりである。わたしの母はブティックを経営していて、化粧品なども扱っている。いわゆるお手入れやメイクアップのために美容院のような設備もあった。わたしが寝かされているのは、実際にそれがある場所である。だが夢の中では、そこはわたしが二ヶ月に一度通っている、いつもの美容院ということになっていた。もちろんわたしの母もいない。いるのは美容師とその助手たち、他に客の姿は無かった。店一杯に店員がいる。十名を越えていたのではないか。
 わたしはシートに寝かされてパーマか何かを受けている。実際に処置をされていたわけではないが、おそらく薬が染込むまでの待ち時間だったのだろう、誰もついておらず遠巻きに放って置かれている。そのうちに見たことの無い女性の助手がやってきて、わたしに二言三言をかけると店内がどっとざわめく。どうやらからかわれているようだ。この時も、夢の中でのわたしの姿は最初に述べていたように、体格的には大人だが、どうやら子供、あるいは幼児と扱われているらしい。後になって例外も出てくるのだが、店員たちはわたしを子供として扱っている。
 助手のひとりに眠りなさいと言われて、わたしは夢の中で眠り込む。意識が途切れた感覚が断続的にあったのだが、夢の中で夢を見ることはなかったようだ。それからまたうつらうつらと夢の中で覚醒してきて、今度は何かを思い出すように指示される。何か楽しいこと、何か悲しいこと、そんな注文があったような気もするのだがはっきりとは思い出せない。少なくとも、楽しいとか悲しいとかの注文ではなったと思う。わたしが思い出したのは、三年前の夏休みにひと月余り石川に逗留したことだった。その年の春に就職した彼女の下宿で暮らしていた。ほとんど主夫生活をしていた。もっとも、京都で二人暮らしていた頃からそんな感じではあったのだが。彼女の帰りを待つ間、マンションの入り口のベランダから見下ろした景色、郊外型の大型マンションの一階はスーパーになっていて、その前は広々とした駐車場だった。夕食の仕度が済むと、そのベランダに腕を持たせてタバコを吸った。見下ろす景色はどこまでものどかで、わたし自身のありふれた現実を示唆していた。そしてその現実感が、ここにいてはいけないとわたしに思わせるのだった。
 美容院のシートに寝かされ、わたしが思い出したのは夏の夕暮れ、まだ空が穏やかに青い時間のその景色だった。いつまでもそんな時間が続くと思っていた。そして同時に、続くわけがない、自分のためにも、彼女のためにも、ここから逃れなければならないともどこかで確かに感じていた。季節が止まったような、穏やかで過ごしやすい夏の午後だった。わたしはシートの上でその景色を見て泣きじゃくっていた。どうしても涙が止まらなかった。店員たちはわたしを馬鹿にしたように、それでいて何で泣いているのか興味があるというように、遠巻きに眺めていた。夢の中では、わたしはその彼女と、そこで別れたことになっていた。実際に別れたのはそれより半年ほど後、彼女が京都に遊びに来た時のことである。
 いつの間にかわたしは泣きやんでいた。何事もなかったように美容院の処置が続いた。ルージュの目立つ美人の店員がやってきて、秘密を教えて欲しいと言った。秘密と言われて何のことだか分からなかったが、恐らく何を思い出したのか、そして何で泣いていたのかのことだろうと思った。わたしは答えず、彼女の胸ポケットのカードを見ていた。スタイリッシュなデザインの名刺が何枚も入っていた。指名をもらうためのものだろう。わたしの視線に気がつくと、彼女はその名刺を出してわたしにくれた。十時に上がるから電話をしてね、と有無を言わせぬ口調だった。触れそうなくらいに顔を近づけ、目をあわせたまま、もちろんそれは性的な誘いで、お互いそのことは了解したまま受け取った。ありふれたと言うのか、むしろフィクションの世界にしか存在しないような、お話としてはありふれた誘い方だった。彼女と寝ると、次から指名させられそうで厭だなとかすかに思った。わたしはいつも指名する、腕のいい男性の美容師を気に入っていた。
 この時だけ大人として扱われていたようだ。すぐに店員たちのわたしに対する扱いは、子供をからかうそれに戻った。そのあとも小学生のいじめのようなことをされた。見習のひとり、若い男だったと思う、がわたしを名指しで、***のこと、半可臭いと思うやつ、と手を挙げさせた。並み居る店員の過半数、およそ六割くらいが一斉に手を挙げた。わたしと言えば、むしろ今時半可臭いなんて言葉が口から出てきたことの方に驚いて、そのからかい自体はなんとも思いもしなかった。
 それからまだしばらく、くだらない会話や取るに足りないことで夢は続いていたはずだが、あまり細かく思い出せない。どのみちもうしばらく程でわたしは目覚めてしまった。まとまりも一貫性もない、長いだけのよく分からない夢だったと思う。