ある回転軸

 前回の読書会(11/4)のまとめ。


 まず周辺の話から。10/28に書いたのだけれど、担当を押し付けられてたまたま本を持っていた、Gene Wolfe "The Island of Doctor Death and Other Stories"にその場で決めた。実はこの短編にはちょっとした因縁がある。
 わたしは実は二度大学(学部)を出ているのだが、はじめに入った理学部から現在その院にいる文学部へとちょっとした、地理的に言えば片側ニ車線の大通りを一本跨いだ程度の、方向転換をするに至ったきっかけがいくつかあることはある。さほど珍しくも無い転向なのだがそれでも人にはそのきっかけをよく聞かれはする(少なくともわたしの旧友の一人はこの文学部を出て医学部を受験し、そろそろインターンを終えて女医になろうというのがいる。そちらの方がよほど珍しい)。面倒なのでたいていは数学に飽きたなどと答えている。自分としてはそんな違ったことをしているつもりはない。知りたかったことの中身は全く変わっていない。至るための道筋がどこを通るかの差でしかない。述べたように大通り一つ分の差程度のことだ。
 その理学部の四年目にこの短編を読まされた。その時はまだ先のことは考えてもいなかった。十八の頃から大学との片手間に働いていたライターの事務所にそのまま残るくらいに思っていたのかもしれない。そこでは肩書きこそ正社員とされ、そして恐らく、正社員のつもりで働くことを期待されてはいたのだが、実質アルバイト程度のことしかできてなかった。わたしはただの若造で受け取っている金額と責任に見合う何の努力も覚悟も無く、ただ業界のenfant terribleを求める空気に寄生していたというだけだ。わたしはenfant terribleにすらなれなかった。ふんだんに与えられたチャンスに手を伸ばそうともせずに、ただ若いというだけで全てを許してくれる周囲に甘えきっていた。彼らもまた自分たちより十以上は離れたいかにもな学生を一人前扱いすることもできなかっただろう。王子の椅子にふんぞり返り、それで社会に出た気がしていた。
 思えばそれで事務所に残ったところで今ごろは生き残ってもいなかっただろう、たまたまだったがその年の暮れに眼を患い、それが直接のきっかけになり会社を去った(眼については8/1の日記に書いたこともある)。一時はコンピューターどころかテレビもほとんど見られなかった。生まれつきなのか進行性なのか、いまだはっきりと分かってないが、視野がゆっくりと欠けていく。その時点でわたしの景色は健常人の1/4しか残ってなかった。慣れるまで外出もままならなかった。わたしの弱さがあってのことだが、退社の挨拶さえもできなかった。


 その後いろいろときっかけは重なり文学を専門とするようになった。それをこまごま挙げるつもりはないが、ただ作品との出会いということを言うなら、この短編他いくつか外せないものはある。ヘミングウェイの数少ない傑作(ほとんど例外と言えるだろう)"Big Two-Hearted River"を読んだのもこの頃であるし、ラヴクラフトを原書で読みポオに進んだのもこの時期のはずだ。そうした転向の一つのきっかけとなったのがこの作品である。
 きっかけ、あるいはたまたまの出会いとしか言いようのない何かの訪れの影響は、この時のわたしにとっては非常に大きなものであった。理学と文学の違い、あるいは理学と文学が実は似ている、このどちらの論議も、この時のちょっとした偶然の重なりの前にはたいしたこととも思われない。そもそもわたしは世間で言う、理系とか文系とかの分類法を血液型と同じくらいに信じていない(A型だからどうこうなどと言う人種を、わたしは馬鹿を見る眼で*1見つめることにしている)。まだ文科系体育会系の方がわたしには好感が持てるのだ。それでもどちらかと問われるならば、恐らく文系なのだろう。一部の世界では名高い『大学への数学』常連であった頃にも自分を理系だと思ったことは無い。社会英語が全くできずやたら理数ばかりができてしまった文系に近いと思ってはいる。だが、述べたようにどちらにせよ、わたしはこの分け方自体胡散臭いものを見る眼で見つめてはいる。自分自身の感覚として数学を解いている時と文学をやっている時とでは、脳の同じ部分を使っているようにしか思われないのだ。


 また長ったらしくなってしまった。要は非常に思い入れのある短編で、まとまった論を作ってみたいと長らく思っていた。今回の読書会でどの程度まで深められたかはわからないのだが、日記の項目を改めた上で、それでも試みてみることにしよう。


 その他の雑感として。参加者に受けは非常に良かった。ここまで反応がいいのは珍しい。Dublinersを通読した時以来のことか。内一人は短編集を買うとまで言っていた。中でも非常に読める後輩なので、その感想は自分のことのように嬉しい。

言及した書籍のまとめ

  • Gene Wolfe "The Island of Doctor Death and Other Stories"

Island of Dr. Death and Other Stories and Other Storiesに収録
邦訳 ジーン・ウルフ「デス博士の島その他の物語」
ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア他『20世紀SF〈4〉1970年代―接続された女 (河出文庫)』に収録

  • Ernest Hemingway "Big Two-Hearted River"

IN OUR TIMEに収録
邦訳 アーネスト・ヘミングウェイ「二つの心臓の大きな川」
われらの時代・男だけの世界: ヘミングウェイ全短編 (新潮文庫)』に収録

  • Howard Phillips Lovecraft "The Outsider", "The Shadow Over Innsmouth"など多数

The Call of Cthulhu and Other Weird Stories (Penguin Twentieth-Century Classics)などに収録
邦訳 ハワード・フィリップス・ラヴクラフト(H.P.ラヴクラフト)「インスマウスの影」
ラヴクラフト全集 (1) (創元推理文庫 (523‐1))に収録
アウトサイダー
ラヴクラフト全集 (3) (創元推理文庫 (523‐3))に収録
などなど

  • Edgar Allan Poe "The Angel of the Odd", "The Pit and the Pendulum",
    "The Facts in the Case of M. Valdemar"など多数

Edgar Allan Poe: Poetry and Tales (LOA #19) (Library of America Edgar Allan Poe Edition)に収録
邦訳 エドガー・アラン・ポー*2 「不条理の天使」「ヴァルドマアル氏の病症の真相」
ポオ小説全集 4 (創元推理文庫 522-4)に収録
「陥穽と振子」
ポオ小説全集 3 (創元推理文庫 522-3)に収録
などなど

邦訳 ジェイムズ・ジョイスダブリン市民 (新潮文庫)

などとやっていたら時間がなくなってしまった。もう出かけねばなるまい。肝心の論はまた帰ってきてから作ることにする。


会後のまとめ(1)へ続く。

*1:i.e. 自分を見る眼で

*2:はてなは「ポー」なのね。文句はかなりあるが置いておく