意識の流れ

(だらだらとメールをやりとりしていました。内容もだらだらです)


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  • 注:意識の流れ(stream of consciousness)

文芸用語。作家によって傾向はそれぞれ異なるが、人物の意識をあるがままに言語以前のものまでもを掬い取ろうとする小説群、文体などのこと。内的独白(interior monologue)によるものが多い。ジョイス、ウルフ、フォークナーなどが有名。
このように述べるとなにやら難しそうだが(そしてもちろん、それを文芸として成立させるのは非常に困難であろうのだが)、一見するとただ頭に浮かんだこと思ったことをそのままだらだら書いているようにも見える。以前、グループ日記の方にそんなまがいものを書いた。参考までに。→「混濁した頭蓋骨」

終章へ向けて

 語り始めた物語には必ず結末をつけなければならない。わたしはそう思っている。職業作家であれば、それは当然の義務であろうし、そうでないわたしにとっても、自分が物語を始めざるをえなかったことへの義務であると思っている。くだらない意地なのかもしれないが。それは、例えばここで書いていることに限った話ではなく、日常の中で生起してしまうような、わたし自身についての物語でも同じである。開かれたままの物語が自分にはなんと多いことか。どうしてそのままにしてきたのか。たぶんその悔恨から、新たな語りを始めるのだろう。わたしは結末を探し続ける。それがどれほど遠くとも、あるいはどれだけかかるとしても。