ヒコーキが空に刺さっていた日

 同時多発テロが起こった日、わたしは実家にいて何をするでもなく居間でお茶を飲んでいた。たまたまその数日前からキャッチ=22という戦争小説を読んでいた。親がつけっぱなしにしていたTVに、何が起こっているのかまだ飲み込めていない突然たたき起こされたという感じのマイクを持った男が現れ、意味のよくわからないことをわめき始めた。彼の背景には空に突き刺さった飛行機が映っていて、やがてその数が二つに増えた。
 邦人犠牲者の名簿が確定して、事件の表面的な全貌がようやく人々にも知らされ始めた頃、わたしはまだ実家にいた。どんな風に計画が実行に移されたか、それがいかによくできたテロであったか、そうしたことが連日放映されていた。わたしは激しい怒りを覚えた。もしもわたしの乗った飛行機にそうしたテロリストが現れたら、刺し違えても殺してやる。アラブ以外の世界観を認められないのであれば、アラブ人は皆殺しにしてしまえばよい。いっそ自分が兵隊となって、そうした連中と戦って死んでもいい。本当にそう思ったのだ。
 秋に入った頃ブッシュの復讐が始まり、京都に帰っていたわたしは当時暮らしていた彼女の家でそれを見ていた。熾烈極まりないアメリカ軍の猛攻に、街は崩れ家は焼け、その下で多くの人々が死んでいった。わたしは再び怒りを覚えた。なぜそんなことをするのだ。圧倒的な力で、それに対抗することはおろか逃げることさえできない無力な人々を踏み潰していく。傲慢なブッシュめ、彼らを殺すならいっそわたしを殺してみろ。
 この二つの怒りが結局同じものであり、同じ精神の働きから発しているものであることに気がつくのには、いくら愚かなわたしでもさして時間はかからなかった。それは怒りなどというものですらなく、ただの恐れにすぎなかった。所詮身勝手な、自分のかわいさと自己保身の本能と自己顕示欲とが合作したただの幼稚な怒りだった。ほんとうに怒るなら自分の不幸を怒ればよい。だが力もなく意志もなく、自分のことをどうする自信も持てないわたしが、わざわざ他人の不幸を持ち出してそれに怒りを転嫁しているだけなのだ。他人の不幸であれば、それがどうにもならなくとも、わたしが責任を持たなくてもすむ。そのような心の働きを、幼稚な身勝手さと言わずして何と言えるのか。