枇杷

 枇杷の季節も終わってしまった。今年は一度も食べることがなかった。まだ市場などで手に入らないことはないが、梅雨の終わりから明けて一週間ほどの間の枇杷の味はもうしないだろう。残念なことだ。
 小学生くらいの頃、一番好きな果物は枇杷だった。考えてみれば地味な果物である。出回る季節も短い。なのになぜ数ある果物からそれを選んだのか今となってはわからない。ただこの年になっても、熟れた枇杷独特の香気に魅了されているのは確かだ。
 枇杷とは不思議な果物である。まず食べるところが少ない。どのような植物にせよ古来から今の科学技術の時代に至るまで、何とかして食べられるところを増やし、取れる量を多くするようにと改良されてきた。ぶどうや蜜柑からは種がなくなり、実は甘くなり大きくなった。だが枇杷は、今ださして実も大きくない上、その半分ほどが種に占められている。最近では種があれでだいぶ小さくなったそうだが、それでも他の果物に比較すればまだ大きい。もし改良の結果で今の姿があるのだとすれば、それ以前の姿はどうだったのだろう。ほとんど種と皮だけであったのではないか。無精な人にとっては、実をもいで皮を剥くという労力に比較して、食べられるところがあれでは許せないものがあるのではないか。
 色は艶やかなだいだい色である。彩度の高い色をしている。濃い緑色をした葉とは対照的に、どこか異国の風情のある色である。ところが実は日本にも原産のある果物なのである。現在一般食べられているものは中国原産の系統のものだが、万葉に詠まれているように野生種が列島南部にも群生していた。実は日本に原産のある果物や野菜というのはきわめて少ない。現在日常食べられている食材に限ればまったく無いと言ってもよい。その数少ない例外が柿と、この枇杷である(余談だが柿は17世紀頃にポルトガル船によってヨーロッパに持ち込まれて大人気を博し、現在でも西洋料理に使われる果物の中では最高級品と見なされている)。
 味もまた不思議である。甘くない。まったく甘味がないということではないが、出回っている他の果物に比べて極端に甘味が薄い。しかし木目の細かい味がある。甘味は涼やかでありながらけっして線の細いものでなく、しっかりと歯にこたえる腰がある。ひかえめな酸味と、ほとんど感じられないほどのわずかな苦味があり、その奥にそれらを支えているしっかりとした味がある。それは滋味だ。主張するほどの味ではない、かといって苦味のようにほとんど隠れてしまっているわけではない。感じようとすればはっきり感じられるが、普段はその存在を気がつかせないような裏方としての滋味があり、それがこの全ての味覚をまとめて懐の深さを作っているのだ。
 肉質はやや繊維に富んでおり、柔らかく歯を受け止める。しとやかだが奥行きのある味とあいまって、ある種穀物のような甘味を歯茎に感じさせる。乾いた食感のある果肉とは裏腹に水分に富んでおり、ミルクのような粘質のある汁がどこまでも流れていく。したたり落ちた果汁はあの香気となって立ちのぼる。鼻腔の中で花咲くような香りだ。
 だが、枇杷にあうお茶となると難しい。口に入れたときに感じる甘味はひかえめだが、後に残る味なのだ。味の質は繊細であるがけっして弱くはない。香気もいつまでもたなびくような性のものである。
 やや渋味のある熱めのお茶で後味を消すのもよいが、あまりに強いお茶だと繊細な枇杷の味が殺されてしまう。かといって、なまじっかなものでは枇杷の個性に負けてしまう。これはほんとうに難しい。