二日遅れ

 二日遅れで19日の日記を書いた。書いたように、2日遅れでは厳密な意味で日記とは言えないかもしれない。遅れた理由もそこに書いた。やたらと長くなってしまったしまとまりもない。文章になっているかもわからない。語るべきことを語り切れた気もしない。だが、もう見返すことも手を入れることもしないだろう。
 だが、それを通り過ぎてしまった現在のわたしから見て、いわば後日談として、付け加えるべきことがないわけではない。
 まず、その最初の方に書いたように、わたしは普段から波がある。波の高い低いはさまざまだし、波の来ていない時も恒常的にある程度の調子の悪さがある。いつ頃からのことなのかはもう覚えていない。はっきりと自覚したのは二十歳過ぎくらいのことだっただろう。
 ともかく、そうした自分を打ちのめすいくつもの波を、これまでに越えてきたことは確かだ。だが、少なくとも覚えている限りのものでは、今回のことほど酷いものはそうはなかった。過去記憶を辿れる範囲では、低めに見積もっても三指には入るだろう。もう死のうと思い、そのための準備を進めたことは何度もある。だが、たいていの場合はそれは理性のコントロールの内にあった。そして、その中でまだ生きるべき理由を見つけ、そのまま突き進むことなく静かに踏みとどまってきた。本当に死ぬつもりもないのに他人に見せるためだけの、演技としての自殺は絶対にするまいと自分に禁じ、そのように受け止められかねない状況の時には決して死なないつもりであった。リストカットをはじめとした、そうした示威的行為が好きな馬鹿者のための見た目派手でその実死亡率は極端に低い方法は一切考慮したこともない。そうした演技を自分に許さないために、当分は誰にも見つからないところでひっそりと命を絶つ。もはや何も残っていないわたし自身に最後に残された矜持があるとすればそのくらいのことだろう。だからこそ、死ぬ時にはその場の衝動や何かのはずみでではなく、自分の選択として冷静に自死しようと思い、それが自分にはできると自負していた。
 しかし今回は、どのように見てもそうした冷静さは保てていなかった。ただ圧倒的な力に打ちのめされどうすることもできず、何のために死ぬのかも、あるいは何か生きるべき理由が残っているかも判断もできずに、わがことながら愚かしくもすぐに見つかるような道路へ飛び降りようと考えたのだ。このようなことは今までの経験の中ではなかった。どれだけ打ちのめされ自分自身にさいなまれ、その時は死のうと思い首をくくるロープを用意したとしても、常にどこかしら冷静に現状について判断したり、また実際的なものとして誰かに見つかる恐れはないか、発覚するまでどの程度の日にちがかかるかなどを計算できる自分がいた。そのような冷静さは今回はどこにもなかった。衝動的に熱に浮かされてのことではまったくないが、思考が完全に麻痺したような状態で意思的な判断をすることができず、ただ死の方向へと歩いていた。だが、本当に死ねる時とはそういうものなのかもしれない。
 ここ何ヶ月間かほど、ずっと自分が弱っていたこともあり、そろそろもう駄目かもしれないという漠然とした予感をしばらく前から感じていた。一方で、もうしばらくくらいは何とか大丈夫だろうとも思っていた。だがそれは突然にやってきた。そのこともあり、深夜の暗闇の中で一人で死と向き合っていた時、これまで何とか生き延びてきたが、今回ばかりはもうだめだろうと、ぼんやりと考えた。
 結局かろうじてのところでわたしは生き残った。それが幸せなことなのかどうかはわからない。これまでと同じように、単に死に場所にめぐり合えなかっただけのことなのかもしれない。ただ今回のことで、ぎりぎりの時でも保てると思っていた自分の冷静さに対する自信がなくなってしまったのは確かだろう。ここ数ヶ月の間続いている精神の弱体によるものなのか、それとももともとそんな冷静さを持ってはいなかっただけのことなのか、それはわからない。どちらにせよ、随分と打ちのめされていることだけは確かだろう。次にまた大きな波が来た時にわたしはそれを乗り切れるのか、それともその中にのまれてゆくのか、それはいつやってくるのか、いっそ早くその中に沈んだ方が幸福なのか。そんな答えのない疑問だけが、今、わたしには残されている。