会話回想

 二日前に人と話したことを、考えていた。
 色々なことが話題にのぼったが、今から思えばどれ一つとっても同じことのような気がする。全てはくだらないことだった。わたしが人と話すことなどそんなものだ。それでも十分楽しいのだから、わたしにとってはそれでよいのだ。相手にとっては不幸かもしれない。
 何を話したか。文系と理系の違いの話。あまり答えは出なかった。基本的なところで齟齬があるように感じられた。こういうものが理系なのだとそれぞれ捉えているものが、ただ捉えている場所が違うというだけでなく、捉え方そのものが二人の間で違っていた。そこが共有できていなかったので、そもそも話になってはいなかった。だが会話としてみれば、そのすれ違いが面白い。なおわたし個人のことを言えば、理系と文系という分け方自体に根本的に不愉快なものを感じている。学生にせよ科目にせよ、あるいは頭の使い方や考え方の技術にせよ、本来そんな簡単にどちらかに分けられるものでもないだろうと思っているところがある。もっともわたしは理系から文系へ渡り歩いた経歴があるので、公平な判断とは言えないだろう。
 女性性のこと。おそらく彼が作ったものであろうフェミニンという概念が、まったくわたしには理解できなかったので、これも話が通じなかった。母性性でもエロでもない、何か記号的なものらしい。外見的な美しさとも、ひとまず関係ないものらしい。それがある女の子、ない女の子がいるそうだ。ある(強さ弱さはあるのだろうが)女の子に彼は惹かれると言っていた。口調から察するに、彼に限らず多くの男性はそれがある女の子に惹かれるようだ。残念ながら、わたしにはいまいちぴんと来るものがなかったのだが。振る舞いのクセとか匂いとか、特定の顔や性格のタイプとかともまた違う話らしい。今にして思えばオタクたちが使う「萌える」という言葉と同じものを指しているのではないか。それに気がついていたのなら、また議論が進んだのかもしれない。進まないから楽しいということも確かに会話にはあるので、それはそれでよかったのだろう。
 他には方言、女の子のタイプのことなど。後者は外見に限定したもので、上の続きで話したものだが多少の実りはあった気がする。うっかりつられて口に出てしまったとしても、わたしが関西弁を喋るのは絶対にやめたほうがいいこと。世間で言われている美人の中には、わたしにはどうも受けつけられないタイプがあること。以上二点の実りをみた。