個人的ポワレ観

 鳥肝の国籍不明サラダ仕立て
 鯛の見た目イタリア風ポワレ

 とにかくまともな素材がない。スーパーもひどいが台所もひどい。基礎調味料どころか、実家には切れる包丁がない。数は無駄にたくさんあるのだが、どれひとつ取ってみても刃がぐにゃぐにゃに歪んでいる。歪んでいないものは何箇所も刃が欠けている。切れの悪い包丁で無駄な力を入れて硬いものを切ろうとするとこのように刃が欠ける。ろくに研ぎ方も知らない素人が生半可なやり方で欠けた包丁を修復しようとすると刃がぐにゃぐにゃになる。刃が波打ってしまったらなお切れない。その繰り返しの果てにできあがるのがこの無残な包丁の束だ。
 スーパーでやや大ぶりな鯛の切り身とレタス、しそ、じゃがいも、それから血肝を買う。ほんとうは肝ではなくて鴨肉か、あるいは子羊などのやや臭みがあったり、血の味の強いものが欲しかったのだがないものは仕方ない。次善策としての血肝である。鮮度があまりよさそうに見えないのがやや心配である。レタスも次善策である。ほんとうは匂いの強い青野菜が欲しかった。例えば生で食べられるようなほうれん草であるとか。キノコもたいしたものがない。別に高いものが欲しいわけじゃない、ちゃんと味のある普通の野菜が欲しいだけなのだが、ただ物珍しいだけ、高価なだけのものか、あるいは大量生産の残骸の匂いもしないような野菜か。

 まず野菜の下ごしらえ。じゃがいもは皮を剥いて2センチ角ほどの賽の目に切り、ひたひたの水で塩ゆでにかける。よいじゃがいもなら芽を取る程度で皮は剥かずに茹でた方がうまい。レタスは匂いも色も薄い、きっと味もしないようなものだろう。表面の葉を数枚捨てて、やや多めに一枚一枚手ではがし流水で洗う。洗ったレタスは水を切った上で3センチ角程度の大きさに手でちぎり、篭に入れておく。しそも10枚ほどを同様一枚一枚手で丁寧に洗う。軸まわりと葉先をやや多めに切り捨てる。半分の5枚を取り、軸と垂直になる方向に包丁を入れて針のように細く切る。包丁がマシならもっと細く、髪の毛の如く切れるのだが。しそを大ぶりに使うのではなく、刻んでにおいを出してやるならなるべく細く切ってやるのがうまいのだ。しそ独特のぱさぱさ、がさがさとした口ざわりをなくしてしまえる。もちろん、その乾いた口さわりをわざと使う料理は別だが(肉の丸などに混ぜ込む場合、そのような口ざわりが多少ある方が楽しい)。細切りにした分のしそをレタスのかごに入れてざっと混ぜてやる。醤油少々、塩少々をこの中に振りいれ、しばらく待ってから篭ごと振って余分な醤油を落としてやる(匂いのしっかりした野菜が用意できたなら、醤油は無い方がいい。ここで醤油を使っているのはこの情けないしょんぼりしたようなレタスのせいだ)。
 残り半分のしそはみじんに切る。こちらはすじのことまで考えて丁寧に切ってやる必要はない。どうせ油につけてしまう、適当にくるくる丸めてまとめてみじんにきってしまう。できあがったら水気を切ったグラスの中にこれを入れて、上からオリーブオイルを多めに注ぎ(大匙で4ほどか)軽く混ぜる。塩もここで混ぜ込んでおくとよいだろう。塩味がやや感じられる程度。イタリア料理によく使う、バジルを混ぜたオリーブオイルの代用品だ。
 バルサミコなんて気の利いたものはここにない。こちらも代用品を作る。昨日買った豆鼓を多めに取って包丁の腹で叩き、普通の米酢に混ぜ込んでやる。少々の砂糖とお酒を入れて、味を見ながら塩を加える。こうすることで渋味と甘味のついた黒っぽい酢が出来上がる。見た目も味もなんとなくバルサミコに似てなくもないだろう。
 じゃがいもを仕上げてしまう。茹で上がったらお湯を切って、バターをやや多め、塩、それに酢を加えてそのままの鍋でいためてやる(クリームがないのでバターを多めに使ったが、あれば生クリームやサワークリームを使えばよい)。このときに賽の目に切ったじゃがいもが半ば崩れる程度でなくてはいけない。かといって潰してしまってもいけない。マッシュになってしまってはいけない。口に入れた時、くちびるや舌の上で表面はほろほろと崩れて溶けるが、かんでみると茹でたじゃがいもの歯ごたえがしっかり残っている程度がちょうどよい。難しいことではない、要するに煮崩れたじゃがいもを作ればよいのである。後は上の味付けで軽くいためてやれば勝手にこのようになる。味は、まず酸味をしっかりと感じる程度に、その後で塩味に支えられたじゃがいもの甘味が感じられるようにつける。基調になるのは酸味である。ややすっぱい程度でよい。
 さて、仕上げにかかる。大ぶりの平皿に、作っておいたバルサミコもどきで渦巻き模様を描くように軽くまいてやる。ふちほど濃く、中心はどうでもよい。そこにこれは多めではないのかと思うくらいに、上で混ぜたレタスとしそを敷いてやる。ちょっと小山になるような感じに、その山の中心に火口を作るように凹ませておく。
 血肝の下ごしらえ、ものが良くなかったので取れる脂はすべて取り去る。鮮度や品質がよければ脂肪はそれほど落とさなくてもよい。血管と固まった血は丁寧に取り去る。水にさらしてしばらく置く(鮮度や品質次第、やりすぎると味が抜ける、牛乳で洗ってもよい)。それからひと口で食べられるほどの大きさに切りそろえる。
 よく油になじませた深めのパンにオリーブオイルを多めにとる。油がしっかりとあたたまったところで血肝を入れて焼く。半ば焼いて半ばパンの中心にたまった油で煮るという感じ。火の通し加減は、鮮度がよければ切った時に半透明になった血色の液が皿ににじむという程度(このときしたたる液が不透明だとまだ火が通っていない。何もしたたらないか、赤色をしていない透明な液だと火の通しすぎ)。今日のはあまりに鮮度が悲惨なものなので、泣く泣く焼きすぎる程度に火を通す。九分どおり火の通ったところで残りのバルサミコもどきをかけてやる(肝の品質がよいならば、塩をやや多めに振るだけでソースはかけないこと。塩を振るタイミングは多少早め、ただし早すぎると塩で染み出た肉汁が焼けてしまうのでその時間を見切ること)。焼きあがった肝をパンにたまった油やソース、肉汁ごとさっきのサラダの中心にかけてやる。軽く形を整えたら出来上がり。
 次に同じような平皿をお湯で温めて水気を切る。茹でておいたじゃがいもをその中心に乗せて台を作る。2センチ弱ほどの高さ、形を整えるのが苦手なら薄いナイフを使ってもよい。台の形はこれから焼く魚にあわせるが、分からなければ円形か楕円でよい。その周囲にみじん切りにしたしそをつけたオリーブで模様を描く。
 ポワレを焼く。銅のパンで半ば蒸し焼きにするのがポワレという料理だが、銅鍋があるわけないので普通の平底でやや深みのあるパンを使う。オリーブオイルをしいて温めておく。鯛は普通に下ごしらえする(大きめの骨を取る、鱗をはがす、など)。皮には身の厚さにあわせて×の字に包丁を入れておく。ポワレはなかなかテクニックのいる料理法である。焦げ付かせてしまったりする料理人もいる。半ば反則だが、自信がなければ焼く前にハケか手で皮一面に油を塗っておくとやりやすい。使う油は料理にあわせること。
 しっかりと温まったフライパンに、皮を下にして鯛を置く。皮の部分にしっかり火が通ったら(皮の縮み具合で判断する)、火をごく弱くする。パンが温まり過ぎているようなら一回レンジから下ろす、それでも足りない時は濡れふきんを用意しそれにのせてパンを冷ます。そのままごく弱火でじりじりと焼く。焦げ付きやすいパンならあらかじめ油を多くひき、時々動かしてやる。皮の方から半分ほど火が通ったら、そのままふたをして軽く蒸してやる(香草を使うのならば蒸す直前に添えるように置いてやる、使う魚の匂いにあわせて香草は選ぶこと、今回は香草は手に入らなかったので省略)。蒸しすぎてはいけない。瑞々しく仕上げなければならないが、身からパンに水が出るような蒸し方をしてはいけない。軽く蒸したらふたを取る。上に向いている方の身が白く、かといって乾いてはおらずできており、パンに水が出ていなければ、ポワレの難しい部分の半分はできている。すでに魚には八分ほど火が通っているはずである。ここで魚の表面に直接オリーブオイルをかける。しっかりかけなければならないが、かけすぎてもいけない。下手にやると潰してしまったり、金気がうつってしまったりすることがあるが、スプーンを使ってかけた上、その背で軽く表面に塗ってやってもよい。それを手早く終えたら初めて魚をひっくり返す。返す直前に火を中火に戻しておく。返したら切れ目の入った魚の皮がこちらを向いているはずである。皮にも同じようにオイルをかける。オリーブオイルだけで純粋にポワレとして(つまり余計なソースは使わず塩と香草だけで)いただくなら、かなり多めにかけてやる。皮に入れた切込みにオリーブオイルがたまっているくらいでちょうどいい。今回はそこまでかけない。肉の方と同量程度で十分である。ひっくり返してからはほとんど火を通す必要はない。軽く身の表面が締まったら出来上がり、用意しておいたじゃがいもの台に皮を下にしてのせる(皮を上にしてもよい、というかその方がおいしい場合もある、好みに応じればよろしい)。しそを混ぜたオリーブオイルをしっかりとかけてやる。温野菜があるなら添えて出す。今回は前前日のオクラの残りしかなかった。切らずに丸ごとオリーブオイルで焼いて添えた。
 少し時間は戻るが、ポワレの残り半分の難しさは蒸しあげてオイルをまぶし、ひっくり返した時にしっかりできたかどうかがわかる。皮の部分の火の通し方がこの料理の眼目なのである。よくある失敗ポワレの例としては、火が通り過ぎてカリカリになってしまったもの。よくそこらのレストランで出てくる、ナイフもなかなか通らないほどに固くなってしまったようなのがこの典型である。さすがにプロでそんなのは滅多にないが、カリカリすら通り過ぎてバリバリになっていたり、黒く焦げてしまうこともある。油を使う料理なので仕方はないが、油で揚げてしまったようになってしまってはいけないのである。
 こちらの失敗はあまりないが、逆にぐにゃぐにゃであったり、皮の部分がゆでたように水っぽかったりしてもいけない。蒸しにかかるのが早すぎたり、水を出してしまったりするとこうなることもある。
 ポワレで皮の理想の焼き加減は、しっかりと火が通り、水っぽくなくサクサクとした歯ごたえのものである。これが完璧にできる料理人は滅多にない。偉そうなことを言っているが、わたし自身この焼き加減に完璧にできるのは三度に一度ほどである。サクサクがわずかに失敗すると、パリパリしたような歯ごたえになる。火が通りすぎ、水分が抜けてカリカリに近づきかかっているのである。これを上手に実現するコツは、まず何よりも、銅でできた肉厚の薄い、平たいフライパンを使うことである。ポワレ専用の銅鍋を持っているくらいでないと成功しない。あとはレンジの火加減がすぐに魚に届くその銅のパンをいかに使いこなすかの勝負である。とにかく火加減が大事である。最初に皮にいかに火を入れるか、それから蒸しにかかるまでの火の調節、この二つでだいたい決まる。蒸し自体は慣れればまず失敗しない。
 今回は残念ながら銅鍋どころか肉の薄いパンもなく、思い通りにはできなかった。やや火の通り過ぎたパリパリといった感じのできあがりである。
 なお、付記しておくが、ポワレは主に白身の魚の皮つきの身に使う料理法である。よく使われるのはスズキだろうか。魚の質や皮の厚さなどによって、火の通し方もいちいち違う。ここら辺の呼吸はもうたくさん焼いてたくさん失敗するしかない。カンがよければそのうちにどんなものでもしっかりできるようになるだろう。また、皮の火加減に気を取られて、身の火加減に失敗するのは論外である。ポワレの根本は焼き料理でなく蒸し料理である。身がほろほろ崩れる程度にやわらかく繊細に蒸しあげなければならない(好みや魚の質によって、身の表面だけはかりっとさせることもあるが、どちらにせよ身の中身はしっとりと仕上げる)。蒸し料理に火の伝わりの早い銅鍋を使うことで、皮だけは半ば焼いたかのようにさっくり仕上げるのがポワレの本質なのである。