沼の魔物

 会後、数人で軽く食事。わたしともう一人を残してバイトのため帰ってしまい、その後残った先輩とコーヒーを飲みに行く。そのままうっかりいい歳をした男が二人、日付が変わり外が明るくなるまで喫茶店で過ごす。途中で店は変えたが。
 このように書くと共犯じみてしまう、当然、その罪が二人で均等と思われるような書き方を意図してしたのだ。だが実際には十割わたしの罪だろう。途中解散して帰るタイミングは何度もあった。実際河岸を変える時、一度は相手の方は帰ろうとした。わたしが帰さなかったようなものだ、このまま一人で放っておいたら危ないような雰囲気をわたしがさせていたのだろう、その自覚はある。
 わたしはそのような雰囲気を作るのがうまい、その演技をしていることに気づくたび自分に吐き気を覚える、このことを自覚する時いつもわたしは死にたくなる。医者に下された判決ではないがかつて自己診断したように、わたしは境界性人格障害なのだろう、常套手段ではないか! どうしようもなく他の人を必要としてしまう弱さをわたしは憎む。この弱ささえわたしの中に無かったならば、誰にも迷惑をかけることなく独りで生きていられただろうに。わたしは弱い、こうして自身の弱さを言い訳にするほどに、だがそれを十分に分かっておりまた自分が何をしているかをはっきりと認識していながらもそれをどうすることもできないのだ。最近随分と涼しくなってきましたね、ぽーんと壁を蹴っ飛ばす、一時のことを思えば。開けるな、と赤文字で書いたシールを貼られ、汚れていつでも曇ったような色に外を見せる窓から空を見やる、四階の廊下から眺める夕暮れは重たい。支える柱のように立つ新築の建物二つ、この時刻谷底は機械仕掛けのブリキ細工のように無限に下に落ち込んで行く。下へ下へと、だが、目をやると中庭は必ず同じ高さにある。眩暈が眼窩から肺へと流れていく。錯視図形に取り込まれ幻視が落下していく。
 雲が出て暗くなってきましたね、降るのかな。足元に積っていく静かな泥粒のように、言葉を落とす。沼、わたしの身体から錆び出た醜い汚泥が酸性の沼をかかとの裏ににじませる、飲み込まれていく、わたしはどうしようもなくその中に飲み込まれさらに蝕まれる。雨が降ると嫌ですね、回転する円盤に記録された音が銅の腐った臭気を立てる。泡立つ泥が青白い腕を伸ばし人間を絡めとる。緑に輝く蜘蛛のように、その醜さで自分自身を苛みながら、それでも一瞬の慰めを求めて自分の沼に人を落としこむ。
 自分のしていることを知っていながらも、わたしはそれを止めることができない。まさにそれをしている瞬間すらも冷徹な目は見据えている(さいきんずいぶんとすずしくなってきましたね)確かに分かっているのだ! わたしの醜さを常に暴き立てようとするわたし自身の怜悧な瞳、容赦なく、これまで他人にそうしてきたように、分解技師の視線で自分を捉える(いっときのことをおもえば)火の海、のた打ち回る、どこにも逃れられない沼の魔物。溺れる者の必死さで他の人にしがみつく、だが一人で沈んでいけばよいではないか、自分の醜怪さをそれだけ分かっていながら、本当に、おのれの汚さをかみしめるほどに分かっていながら、どうして人にそれを求めるのか。真実お前はわかっているか、わたし自身からにじみ出るその腐臭が。お前にまだ矜持があるのならせめて独りで沈んでゆけ。
 沈んでゆけ、緑青浮いた自分自身の沼の底へ、沈んでゆけ、ひとりで。これを書いている今もまたわたしはこの沼に沈んでいかねばならない、日ごろわたし自身を守る分厚い膚がぼろぼろになった古雑巾を思わせるほどその中で腐食していくとしても、わたしは自分を打ち砕きながらその奥へと進まねばならない、それで何かを失うとしてもわたしはわたし自身のためだけに、これを語らねばならない。
 しがみついてすらいないではないか、それがわたしの醜さの核だ。わたしにそれを語らせまいとして、わたしのこの目から隠し置こうと必死になっていたのは、そういうことなのだろう、わたしはしがみついてすら、いないではないか。取るに足らないくだらないことだ、だがそれを認めると自分を壊してしまうのだろう。誰からもわかりきっていたことだ、それから顔を背けていたのは唯一人だけだ。つまらないことだ。しがみついてすらいないではないか。自分から助けを求めることもできない弱さ。たすけて、という言葉すら口に出すことを禁じて自分の弱さを隠蔽しようとする浅ましさ。ただ助けて欲しそうなそぶりをし、人から手が差し伸べられるのを待つだけのさもしい根性。沼底から臭気を上げる、これらがわたしの汚物なのだ。それを認めて壊れてゆけ。幼い頃から他人の中に見つけては、糾弾し続けてきた醜さだろう。わたしの番が来たのだ。さあ、それを認めて壊れてゆけ。