二重校正

 昨日に書いた20日の日記の後半を校正する。
 書いた時のわたしの調子では恐らくまともな文になってはいまいと思ったが、予想したよりはマシであった。とはいえ、(内容面のことは棚上げにして、文章的に)人に見せられるようなレベルではない。てにをは、修飾順位、単語の重用、コロケーション(日本語でなんと言ったか忘れてしまった、こういう失念は悔しい)のみを直す。わたしが文を書くときにしばしばおかす欠点だが、修飾の順位をよく間違える。過去の日記でもしょっちゅうやっている。語順をまちがえると語ろうとした意味ではない、別の意味になってしまうので、これは気をつけなければならない。
 他、内容については手を入れていない。わたしはそもそも滅多に書き直しなどしない(それ以前に読み返すことがほとんどない)。たとえ書き直す場合でも、その時一旦完成させたと考えたものについては、文意は、どれほど細かいものでも、一切手を入れない主義である。それは恐らくその時でしか、二度とは、語り得ないものであるからだ。
 今回もその主義に従って、内容には手を入れていない。ただ一つの例外として、括弧でくくった上でだが、ほとんどまったく意図の通らなかったことについて一行だけ書き加えた。細部以前に、余談の部分であるのでこれは問題ないだろう。それ以外はまったく手をつけていない。中身を変えたくなった時には、この自分が一旦書き上げたものに、自分で反論する形で新たに書き直せばよいことだ。
 正直読み返してみて思ったのだが、特に最後の二つの段落は、よほど疲れきっていたのだろう、何とか締めくくろうとして、ほとんど何が言いたいのかわからないほどに内容を省略してしまっている。だがこれも触らないこととしよう、必要があれば別の時に語りなおせばよいことなのだ。
 だが、ふと思ったのだが、そうして意図の分からない文になってしまったことには、わたし自身が認めたくないような何かが紛れ込んでいたのではないか。わたしの心の働きがそれにセンサーシップをかけた可能性はある。それについては分からない、そうした作用には、ほとんどいつになく慎重に書いていたつもりだったが。もしかしたらそのようなことが起きていたのかもしれない。しかしそれを考慮しても、一度完成させてあるものなのだ、語り残したことは、また語られる時が来るだろう。