蕎麦、秋刀魚

 読書会に出席。そこで明日からまた集中講義と聞く。まだ先だと思っていたのだが。これで一日ブルーである。
 こちらは先週のようにいい加減に臨むわけにもいかない。本気でテクストと戦争し先生を殺すくらいのつもりでなくてはならない。しかしメルヴィルを読むのは精神的にしんどくもある。テクストは持っているのだが、先年に先生が訳された本は買っていない。サブには使いそうなので、会後、手に入れようと生協に行く。なんということか、生協は休みである。今日は休日であったのだ。この時点で九分どおりやる気をそがれる。それでも自分をなだめすかし、帰りには蕎麦屋に寄ろうと心に決めて丸善に行く。本はすぐに見つかる。上下巻二冊で四千円近い。すぐ丸善を出て(さもないといらない本まで買ってしまう)、御池の蕎麦屋まで歩く。新蕎麦の季節なのだ。途中ちょっとした誘惑もある。上手に焼けたさんまの写真が店先に飾られていたのだ。だが本望を全うして蕎麦屋に行く。確かにさんまも旬である。解禁日はいつだったか、九月の頭くらいのはずだ。だが料理屋で食べるさんまが一番旨いのは解禁前なのである。禁漁が解けると各港から堂々と漁船が繰り出してさんまの群れに網を投げる。ニュースなどで見たこともあるだろう、ぎっしりとさんまがひしめいて丸く歪んだ網が船に上げられる。だがさんまの水揚げとしては網で獲るのは下の下である。網の中で押し合いへし合いぎっしりとつまったさんまは身が傷つくのはもとよりとして、ウロコが剥がれてしまうのである。剥がれるだけならよいのだが、このウロコが他のさんまの口に入る。仲間のウロコを大量に食べさせられて、お腹の中がウロコでいっぱいになるのである。網で獲られたさんまは食べればすぐわかる。肝心のはらわたがウロコだらけになっているのだ。これではせっかくの旬のさんまが台無しである。解禁直前の時期ならば、漁船はこっそりと糸を垂らす。一匹一匹釣り上げるのである。このさんまなら言うことはない。実は解禁後であっても、こうした獲り方をする船が無いわけではないが、ごく一部の高級店に回ってしまいそのあたりでは食べられない。中堅どころの料理屋でさんまを食べるなら、解禁前が一番なのだ。