壁の薄い部屋

 眠れない。
 十時に一旦寝床に入ったのだが二時間ももたずに目覚めてしまう。起きていたんだか寝ていたんだかよくわからない夢を見た。ネットサーフィンをしていた気がする。明日は今日より長く午前から集中講義があるので早めにたっぷり睡眠を取っておきたかったのだが。
 すっかり目覚めてこうして日記を書いているようでは、とても寝入ることはできそうもない。
 昨日もこんな感じだった。十二時ごろに眠りについて三時ごろに起こされてしまった。今日よりはまだ長く眠ったことになる。わたしが入居するアパートは建築としてありえないほど壁が薄い。ただ普通に喋っているだけの声でも隣室ならばぼそぼそくぐもって聴こえてしまう。一字一句は分からなくとも抑揚などでなんとなく会話の雰囲気まで掴めてしまう。意図して聞こうとするならば互いに筒抜けになるだろう。壁の向こうとも大きな声を出したならそのままやり取りできそうだ。そのせいかわたしの隣室は半年ほどで入居者が変わる。半年入ってまた半年空き部屋、ここ数年その繰り返しになっている。空き部屋の時はよいのだが入居者がいると気を使う。向こうの音がこれだけ聞こえているならば(たとえば入浴してたら水音だけでそれとわかる)こちらの音も同じように聞かれているということだ。わたしは常時音楽をつけているほうだが、夜の十時を超えるとそれすらままならなくなってしまう。別段大音量ではないのに普通に通ってしまうのだ。気にしない相手ならよいのだがトラブルになったこともある。向こうが始終音楽をかけていたのでかまわないだろうとずっとコンポをつけていたのだが、何度かうるさいと怒鳴り込まれた。その癖わたしが出て行くとすぐに自室に逃げ込むのだ。面と向かって話もしない。大家に聞いたかどこで調べたか無言電話もかけられた。どれもわからないようにやっているつもりなのだろうが、何しろ壁がそれだけ薄い隣室であるわけで、完全に尻尾が見えてしまっているのが情けない。しかもそれだけ神経質に言う癖に自分は深夜でも平気で音楽をかけているのだ。腹が立ったのでずっとロックを流しっぱなしにしておいた。今はちょっとしたことで目覚めてしまうようになったが、かつては音漏れがする音量でウォークマンを聞きながらでも眠ってしまえるほど図太かったのだ。結構な音量で流したままで平気で夜も寝ていた気がする。これなら自分の部屋が十分うるさいので隣室から壁をたたかれたり、怒鳴り込まれたりしても気にもならない。すると今度は自転車をパンクさせられるようになった。直してもすぐまた針で穴を開ける。度重なるので修理費用も馬鹿にならない。相手はスクーターだったのでブレーキを壊してやろうかとも思ったが、警察に相談して写真を撮って突き出した。結局大家が出てきて何とか丸くおさめてくれと言い出したので、出て行かせることで手を打った。何か捨て台詞を残して引っ越していったはずだ。この大家もいいかげんな奴でちょっとどうにかして欲しいと思うことも多々あるのだが(たとえば共益費毎月一万以上払っているのに階段の掃除もしないなど)、それ以上にひどいのが管理会社の京都学生協会である。毎年四月になると京都の各大学の合格発表などの日にカラーのチラシを配っているのだが、この名前に騙されて大学の監督下にある業者や生協の類と思って契約する人も多いかと思う。ただの民間業者である。しかもかなり質が悪い。割高でろくに管理もなされていない物件ばかりを、京都は学生が多いからこの時期はもうほかに残っていませんよ、との決まり文句で押し付ける。入居時には大家に支払うお金の他に手数料として結構な金を持っていった。そのくせ大家と何かトラブルがあったとしても、まったく関与も何もしない。ただ一度払ったお金は返せませんよ、とオウムのように繰り返すばかりである。そうした場合に間に立ってトラブルを解決してもらうために、管理会社に大家も店子も手数料を払っていると思うのだが。周囲の学生やサークルなどでもこの不動産屋の評判は最悪だった。それはともかくこのアパートの壁の薄さは何とかなりはしないものか、だいたいこれだけ音が筒抜けの上、五階建てで階段しかないのは違法建築にはならないのか。引っ越そうとも何度か思いはしたのだが、交通の便はわたしの通う大学にせよ繁華街にせよ京都のたいていの場所に行くには最高なのである。そしてこの荷物(本)の量を思うとおいそれとは引っ越せない。入居当時はずいぶん高いと思った月八万弱も、今となってはこの立地と二部屋としては結構安い部類になってしまった。
 ともかくも困ったものである。隣の部屋ならまだしも昨日は階下の嬌声に起こされてしまった。野良猫よろしく午前の二時か三時から一時間ほど続いていたのではないだろうか。このアパートでそんなことをすれば上下両隣全員起きる。昔はわたしはちょっとやそっとの騒音くらいではまったく目覚めもしなかったのだが、最近神経質になったのだろうか、ついに起こされてしまった。顔を洗おうと明かりをつけると、同じように起こされたのだろう、隣室からも蛍光灯をつける音が聞こえてきた。お互い様だがちょっとは時間を考えてほしいものだ。