蔵書の世代

 再読をよくする方かと思う。とくに気に入った本になると何度も繰り返し読んだりする。もちろん趣味の本である。勉強のためや調べるためにで必然的に繰り返すことになるのではない。単に気に入ってするのである。
 中にはたぶん、十数回以上通したであろう本もある。さすがにそれほど繰り返した本の数は少ないが、二、三回読んだ本は多いだろう。何度も繰り返し読むうちに、飽きたりあらを見つけたり、挙句嫌いになってしまうこともあるのでたちが悪い。そうなるとほとんど二度と読まなくなる。その段階に至らないか、あるいはそれを越えてしまうと、また読むこともある本になる。
 そんな読み方をしてきたので、誰しも繰り返し読むのだろうと思っていた。ところがそうでもないらしい。知り合いの本好きなどに聞いてみても、たいてい一度二度通せばそれっきりが普通である。もちろん何度も繰り返して読む一冊があったり、頻繁にではないけれど時々取り出す本があるという人はいる。だが多くてもそうした本は数冊らしい。習慣として気に入った本をいろいろと再読してるという人は、少なくともわたしの周りの本好きの中にはいなかった。自分にとってはかなり当たり前のことと思っていたので驚いた。本は一度仕舞ってしまうとよほどのことがない限り、二度とは読まないものらしい。
 しかし本は再読すればするほどに、どんどん痛んでしまうのだ。大事に読む人なのであればそんなことはないのだろうが、わたしは非常にがさつである。ましてや普段から読む本はどこへも持ち歩く習慣がある。カバンに数冊ほおりこんだり、文庫であればズボンのポケットに入れたりする。当然本は傷ついていく。時折手当てもするのだが、ひどいことになってしまうものも多い。めくれあがるのは序の口として、カバーが外れ、表紙は曲がり、ページは破れたりもする。ペーパーバックが手におえない。もともとつくりが安いので、本が真っ二つに割れたりする。初めはページが何枚か外れて落ちるだけなのだが、そのうちに数章ごっそり落ちるようになり、挙句背表紙に亀裂が入り割れてしまう。最後には本の部品の山に成り果てる。こうなると新しいのを買うしかない。*1
 ここまでひどくはないとしても、こんなふうにして何代目かになった本がいくつかある。

*1:そんな癖があるので、尊敬する先生などから本をお借りした時は緊張した。汚さないように折らないようにと気を遣い、とても不自然な読み方になってしまった。それでもちょっとは汚してしまったような気もする