よく人が悪いと言われる

 書店を出ようとして入り口手前の平積みの中に渡部昇一の新刊を見つけた。
 先月からダブリンへ留学に出た先輩はこの右翼英語学者が大好きだそうで本を何冊も持っていると言っていた。ある頃までは面白かったそうなのだが、耄碌したのかだいぶん言動が怪しいらしい。往年ならば思想的に極端であれ、読ませてしまう力があった。なのに最近はただの誇大妄想呆け老人になってしまった、と彼は嘆いた。
 その彼が京都を出るときにそれまで溜め込んでいた大量の本を始末したそうだ。いくつも実家に送ったり、人にあげたり古書店に処分したらしい。それでも引越し業者が来てみたら三十近くの箱が出たという。もうこれ以上は実家に送るのも辛くてねというようなことを述べていた。彼は既婚者であるのだが、それなら奥さんの実家に送ればいいことじゃあないですか、と言うのをわたしはじっとこらえた。
 彼は春樹のファンでもあった。作品自体のことでもないのにあの髪型はちょっとどうかと思うとかわたしが口を滑らすと、まるで自分を言われたようにすぐ怒る。登場人物のことでもいけない。彼の前では直子の悪口も言えないのである。春樹に限らず彼が感情的になるのは他にもある。以前研究室の人々とジョイスの映画を見たのだが、女の子たちが口々にあれは男としてダメだと言うと、本気で傷ついた顔になり泡を飛ばして弁護を始めた。まあブルームに自分自身を見てしまうのは彼の他にもいるだろう。
 そんな彼から本をもらった。引越し処分の一環らしい、わたしがまだ読んでいないと言うと、その次に会ったとき『アフターダーク』を持ってきた。発売日に感想を聞こうとメールしたのが悪かったようだ。どうやら読めということらしい。文庫化されるまで放っておくつもりであったのだが。まだ彼の出国までは間があったので読んでお返ししますと言うと、返されても困るし返さなくていいよとのことだった。仕方ないのでいただいておいたが、こうなると意地でも読みたくない。ぱらぱらめくってみたのだが、その気がおこらずデスクの上にのせてある。既に時計の台として地位を確立しつつある。
 今日見つけた新刊なのだが『生きがい』という題である。芸のない青一色の装丁に著者名とともに並んでいた。このタイトルからして危なそうだ。きっと彼を嘆かす本だろう。貰った濃紺の本の仕返しには、それをそのまま送るよりこちらの方がよさそうだ。きっと激怒するだろう。