式の官能

 しばらく以前に回答させていただいた質問を見ていたら、昔のことをいろいろと思い出した。
 十代の頃のわたしは数式が大好きだった。数学や物理に憧れた。そして数式以上に惹かれていたのはその理論であった。無数の式が集まって作る壮大な伽藍の美しさがあると思った。わたしが愛していたのは古典的な均整と完璧さであった。何より無矛盾であることの美を思い、また対称性が恋人だった。だから心臓が身体の真ん中にないことは、何よりの屈辱であった。
 小数点を追いかける数学的な厳密さこそがわたしの中では美徳であった。物理や化学の問題で端数を丸めたりすることを心の中では軽蔑していた。測定器の誤差を鼻で笑った。どこまでも逃げ続ける無理数こそがわたしの求めた神であり、わたしをあざ笑う悪魔であった。わたしは物語を読むようにして数式の変化を楽しんでいた。正体の見えない無骨な式がひとつひとつその関節をほぐされて、最後には美しい曲線を描く。開幕舞台の中央で観客の視線を一身に集めて多項にでしゃばるxの、影に隠れて上手に控える内気なaは、xがyを道連れにtと入れ替わり退場すると、途端三本の照明を浴びて物語の主役を張る。終幕にもはや最初の式の面影もない。一切の粗野が軌道の上で削ぎ落とされてその核心の美しさを見せる。数学の美こそが至上であった。