断片のいくつか

 わたしの中に言語になりきれない何かがある。どうしても何を棄てても語らねばならないものであるはずなのに、どうしても言葉にすることができない。小さなしこりがいくつか連なり肌の直下に潜んで転がる。わたしの皮膚を突き破ろうと互いに打ちあいカタコトと鳴る。まだ文法も知らない未熟児の言葉はそれでも出口を求めている。
 本棚の裏から見つけたプリント、端は黄ばんでいる。いつだったか宮沢賢治に傾倒した頃、青空文庫から印刷したものだ。しばらく棚の上に立ててあった「春と修羅」は汚れた顔をしている。もはやわたしは修羅でしかあれないと自身の苦さを噛みしめてそれでも空の微塵が見えないかと目を凝らしていた。どうあっても自分は独りぼっちでしかありえないと気がつき、また独りぼっちでしか触れないものを求めていた。わたしはわたしの修羅道へと堕ちようとした。
 昨日の夢。珍しく沢山の人々が出てきた。二十名ほどの団体で慰安旅行か何かをしている。みな同世代か自分より若い。その中でわたしはグループのちょっとした長老格のようだった。観光地なのだろうか。それにしては建物は地下街のようだ。広いフロアに担架のような骨組みのベッドが所狭しと並んでいる。高さはわたしの胸よりやや低い。過半数は誰かが寝ている。子どもから大人まで年齢は広く分布している。やや老人が多いのが目立つ。みな裸でうつ伏せか仰向けになり、肩から下をねずみ色の毛布で覆われている。死体置き場の匂いがする。何かの健康法のようで、わたしたちも体験させられるらしい。健康などに興味のないわたしと、あともうひとりを除いてみんなベッドに登る。毛布には消毒用アルコールを含ませてあるようだ。涼しい刺激臭がする。わたしはベンチに腰掛けて、物好きなことだと彼らの殺菌工程を眺める。男女も年齢も関係なく同じフロアに寝かされている。ぶ厚い毛布と沈み込むような寝床に隠され体型は全く見えないが、死体袋から突き出した首で患者たちの性別は分かる。たいていは気持ちよく眠ってるようだが、中にはもぞもぞ動いてるのもいる。わたしのグループの中のひとりがどうやら全部終わったらしくどこで着たのか服を着替えて、気持ちよかったですよと隣に座る。毛布に隠されその下で何が行われているかは覗えないが、彼が話したところでは、裸で眠らされたままみんな排尿させられるらしい。それがどう健康につながるかわたしには分からず要領を得ないまま話を聞いた。彼は淡々と同じ事ばかりを語っていた。工程が終わったのか時々老人が寝床から立ち、開いたところに新しい老人が横たわる。どんな仕組みかはわからないのだが、ベッドから出た時には既に服を着せられている。裸のまま這い出す人はいない。彼の話は淡々と続く。だがわたしのグループのひとりが、過程を中断したせいだろう、裸のまま上半身を起こしてこちらに手を振る。わたしは呆れて見ていたが、周囲はそれが普通にありうることのようにまったく意にも介していない。彼女は裸の全身を毛布の下から引きずり出して、わたしたちの気を惹こうと大きく両腕を振り続ける。何の悪気もない子どものような相貌をしている。わたしはむしろその表情に怒りを覚え、いい大人が何を考えているのかと、頭を掴んで無理やり毛布の中へ押し込める。
 このところよく感じること。自分は独りで生きられるほど強くはないという実感と、一方で独りで生きようとすることができるくらいには強いという実感。これが正しいかはでも分からない。どちらにせよ、独りで生きようとすることができるくらいに本当に強いとしても、それは自分の身をぎりぎりにまで削ってしまうような過酷なことだろうとも思う。
 そのことも含めて、自分にできること、できないこと、他人にあって自分にないもの、他人になくて自分にあるもののおおまかな見極めが、少しできてきたような気がする。そしてそれができかかってくることの当然の帰結として、わたしは決断を、いやむしろ言葉の正確な意味において、覚悟を、迫られている。
 少なくともどこへ転んでも、かなり面倒な生き方しかできないような気がする、おぼろげな未来像として。面倒な生き方しかできないなら、生きなくてもよいじゃないかとも思う。
 暖房設備が壊れていることと、それにともなう寒さ。そろそろまた辛くなってきた。阿呆な大家は壊れたエアコンを二年放置した挙句、去年の九月、窓に室外機一体型のクーラーをつけた。九月では役に立ったのは今年の夏が初めてである。せめてエアコンにして欲しかった。室外機一体型クーラーは、電源を入れていないなら窓が30センチ開いたままになっているようなものである。風通しはよいのだが、京都の冬にアパートの五階、窓が30センチ常に開いている部屋は他に暖房設備が無い以上命に関わる。ほとんど屋外と同じだ。