いつか見たはずの鍵

 毎年この時期に恒例の演習打ち上げで昨日は飲んだ。朝の三時か四時くらいまで飲んだと思う。深酒のおかげで朝型生活から無事脱却できたようだ。
 昔、毎日のように飲み歩いていた頃の仲間の一人に飲むたびに記憶を飛ばすという人がいた。わたしは飲んで記憶を飛ばしたことはほんの二、三度くらいしかない。その仲間内ではかなり少ない方だった。酒の強さとは関係も無く、潰れても記憶がある人もいれば潰れてもないのに飛ぶ人もいる。わたしはたまたま記憶を飛ばしにくい体質だったのだろう。
 そんな少ない経験と、他の人々の記憶が飛んだ体験談から察するに、飲んで記憶がなくなるというのは、飲み始めたある時点から、別のある時点まで(たいていは、翌日朝目覚めるまで)の一定期間の記憶が丸ごとなくなっていることを言うらしい。述べたように、そんな具合に記憶を飛ばしてしまったことはほとんどない。だが、何となくは覚えているけれど、その前後とか、具体的に何を話したかとか、何をしたのかとか、そうした細部が思い出せないことはよくある。これも酒のせいなのだろうか。そもそもわたしは普段から頭が悪く忘れっぽい。ひとの名前もすぐ忘れる。自分がどんな言葉を使って何を喋ったかを思い出せないのも不思議は無い。なんとなく、こんなことを話した気がする、こんな印象の、こんな流れの、こんなことを。だが、それをどんな言葉を使って、どんな雰囲気で、誰の方を向いて、どのように語ったか。それが思い出せない。内容よりも、そうした喋り方の方が大事であったりもするのだが。
 記憶を、わたしは大事にしていないのだろう。悲しいことだ。その場にいた人々との関係も、それ以上に、その場にいた人々を、そしてわたし自身を、どうでもよいと思っているのだろう。そうしたものを大切にできない自分自身を悲しく、情けなく思う。そうしたものを捨ててしまうにんげんなのだろう。その悲しさや寂しさ、そして酷さ醜さを知りながら、それでも、遠くにどうしても手にしなければならないキラキラとしたガラス破片が見えたら、わたしは何としてでも、自分の身も、周りの誰を踏みつけにしても手を伸ばしてしまうだろう。日ごろの全てを置き去りにして無人の、誰もついてこない世界へ、歩き始めてしまうのだろう。自分がそんなにんげんでしかあれないことを悲しく思う。どうしても、だがそうでしかあれないのだ。
 いつから、どうして、そんなふうになってしまったのだろうか。自問するが答えは出ない。そうして自分を責めている間にも、遠くの何かに焦がれている自分がいるのだ。それが、実際にはわたしの中にしかありえない蜃気楼だとしても。いつからだろうか。幼い頃にもそんな気持ちは常に合った。そういえば、そんなことをグループ日記の方に書かせてもらったこともある。


■ [お題]落花の公園


 ・・・事典、植物、薬品、石、彼らは息をしない世界の秘密を知っていた。静謐な胎内に宇宙を抱えて、わたしはその鍵をなんとしても手に入れなければならなかった。日々はその冷徹さを剥き出しにして、ただ悲しいだけの毎日を変える力は小学生だったわたしの手の中には無かった。わたしにはどうすることもできないことだけが、目の前に残っていた。日常から歩み去るための扉をわたしは求めた。静かに、だが確かにこの悲惨な宇宙に繋がっている彼らの内には、ただ一人の世界の果てが、息をしない世界への鍵が、砕けるのを待っているように思われた。(後略)

 わたしはそんな風にあることしかできないのだろう。遠くに見えてしまったものが、どれだけ価値の無い、くだらないものだとしても。いや、それ以前にわたしの作り出した安物の幻想だったとしても。わたしはみんな捨ててしまうだろう。インチキの扉をくぐるために、何もかも踏みにじりながら。扉が書割の贋物だということに気がついていながら。日常から逃げ出してしまうわたし自身の言い訳のため、いつかデッチあげた安ぴかキラキラした扉へ。そのペンキが剥がれかけているのも見えなかったことにして。もう消えようとしているのだろう。消える準備を始めかけているのだろう。いつのまにか、自分自身が気がつかなかったうちに。いや、黙殺していたのだろう、自分が消える準備を始めていたことを。このまま消えてゆけばよい。