笑うひざ

 部屋に籠もって論文を書いていると(まだ実際に執筆する作業には入っていないのだが)いろいろとストレスが溜まる。時間があるなら遊びに出たり酒を飲んだり何なりと解消もできるのだろうが、何しろ出かける暇も無い。かといってこの小さな室内で時間も取らずに発散できることなどそんなに無い。ネットも結構時間を喰うのでままならない。
 仕方が無いのでしばらく前からストレス解消に筋トレをしている。まあ筋トレというほど大げさなものでもないのだが。初めは気まぐれでやってみた。五年以上も昔、日常的にしていた頃は腹筋背筋腕立てなどを何セットもやっていた。それが久しぶりにしてみると、何セットどころかその1セットすらやりきれない。たかが普通の腹筋でさえ、一度も背をつけずにやろうとすると、30ほどでくたくたになった。息が切れて、1セットの50が続かない。衰えへの驚きと(考えてみれば、当時はタバコも吸ってなかった)、そしてあまりに悔しかったので、それから毎日少しづつしている。
 論文作業に煮詰まって論理が滅入って何も考えられなくなったり、ちょっと気分転換でもしようかと思った時に、取り合えず腹筋、背筋、腕立てをセットでやっている。数は少しづつ増やしていった。筋肉をつけるのが目的ならば合理的なやり方はもっと他にあるのだろうが、どちらかといえば気晴らしなのであまり考えてもいない。一日に何度もする日もあれば、全くしない日もあった。腹筋途中で論文のネタを思いつき、やめてしまったこともある。腹筋は普通に上体を起こすのを半分、ひねって起こすのを左右でそれぞれさらに半分ずつ。どちらも一度も背中をつけず、ゆっくり起こし、ゆっくり上げる。上げきってしまうと楽になるので途中のところで静止して、息を緩めながらゆっくり下げる。背筋も同じ要領でみぞおちを浮かしたまま一度もつけずに肩を上げる。以前は何も考えなくてもできていた、動作と呼吸を合わせることすら、意識的にやろうとしないとできなくなっていた。腕立てはどっちがどっちか忘れてしまったし、筋肉がつくかは正直どうでもいいので、その時によって、脇を締めたり開いたりしてやっている。カンが戻ってくるまでは、腰の角度を一定に保つのがとても難しく感じた。
 そんなことをしばらくしていた。ようやくこの頃、かつてに近いくらいの感覚で、腹筋を五十、続けてできるようにはなった(背筋、腕立てはまだかかりそうだ。特に背筋は腰にくる)。たいてい論文の合間になので、何か考えながらやっている。荒い息を肺につぎ、心臓は跳ね回っている。電話が突然鳴ったとしても、まともに口を動かせるかどうか不安にもなる。そんな様子なので、まともに考えられるはずもなく、またどう見ても脳の酸素は筋肉に奪われているはずなのだが、なぜか普通に考えるより頭が回る気がしている。それまで見過ごしていたことに、新たな腰の角度から光を当てて見ることができたり、全く関係ないと思われていたことの呼吸の共鳴に気がついたりと、不思議に得るものがある気がする。ただ、途中で数を忘れてしまうのが難点だ。
 今日はそれで足上げ腹筋に切り替えた。普通の腹筋で無理なく五十、できる程度に達したので、ちょっと気分も変えてみようと思ったのだ。こちらの方がツイスト(側腹筋)しやすいこともある。上体が浮かないよう何かにつかまり、足を真直ぐに伸ばしたままでかかとを握りこぶしほど浮かす。ひざを絶対にぴんと伸ばしたままにしなければならない。つま先までが直線に伸びた姿勢を保ったままで、呼吸にあわせて足をゆっくり上げ下げする。これも上げきってしまうと楽になるので途中で止めてゆっくり足を下ろしていく。もちろんかかとをつけてはならない。かつては腹筋といえば、この足上げでやっていた。普通の腹筋で五十できたので特に何も考えず、同じくらいにはできるものとやってみたのが間違いだった。二十を越えたあたりから苦しくなり始め、三十あたりでひざが笑った。とてもじゃないが足を真直ぐになど保てていない。意地で無理やり五十をやったが起き上がれないくらいに疲れた。正直甘く見ていたのだろう。かつての記憶では、普通の腹筋より楽だった気がしたのだが。ゆっくりやりすぎたのかもしれない。
 そのあとで背筋、腕立てをしたら疲れすぎて吐くかと思った。吐き気がするほど肉体的に疲労するのも久しぶりだった。椅子に座ろうと足を上げるとまだひざが小さく笑っている。