食器

 大掃除いまだ進行中。長らく半身不随であったキッチンも九分どおりの機能を回復させた。フローリングを覆い尽くした古雑誌や小物の詰まった段ボールは全て捨てた。収納の中身も歴史の錆びついた金属鍋も全て捨てた。
 それから二年ほど前にミスドでもらったPinguの食器一式。絵皿二枚、コップ二つ、それから使い道は薄そうだが小壺が二つ。それぞれ二つ一組になっている。箱のまま開いてもいなかった。界面活性剤を染み込ませたスポンジで擦って乾かした。そのさらに一年前に送られてきた段ボールふた箱分の調理器具。プラスチック製の食器籠が三つ、飯茶碗、小皿など、それからナイフ・フォークなどが数点、鍋、パン、耐熱皿、絵つきの大皿が二枚、三つ一組の茶碗、これは受け皿と蓋、それに陶器の匙もセットになっている、泡立て器やお玉、こし網など。送られてきた箱のまま、これも三年ほど放置してあった。食器を包む2002年の新聞紙を剥がし、ほこりを払って洗剤で洗う。汚れの酷いものにはクレンザーを使った。それから塩素漂泊剤に三十分ほど沐浴させた。二年と半年ほどの期間を一緒に暮らしていた人が就職し実家に帰った折に、譲りうけたものだった。いくつかは一緒に買ったものだ。彼女はほとんど料理をしなかった。使っていたのはほとんどわたしだったと思う。彼女は干物を焼くくらいのものだった。もともとあった食器類は、大学に入って一人暮らしを始めた時に、実家から運んだのだと言っていた。幼い頃から使っている小皿や茶碗を選んで持ってきたのだそうだ。汁物をわたしが煮ると、そのお気に入りの大きな鉢に必ず彼女は取っていた。女の子用としては大きすぎる、そもそも一人用の鉢ではない、煮物などをまとめて供するのに使うような鉢だった。灰色地にひかえめなつる草が細く青みを添えていた。彼女はときどき、わたしにもその深底の鉢を使わせてくれた。
 三つ組茶碗のうちのひとつは持ち手のところが欠けていた。朱、緑、黒、と三色揃いで蓋と受け皿、匙があるだけにもったいない。断面は晴れやかな薄灰色をしている。蝋の光沢のある朱色の外見と対象的に、ざらざらと晴れた日の石階段の趣がある。陶器用の接着剤で繕うこともできるかもしれない。以前にも小皿を補修したことがある。きれいに二つに割れていたはずだ。薄茶の付絵が真ん中から分断されて、いびつな小道具になっていた。それもまた小学生の時分から愛用していた品だった。割った当人は左右の手に半円をひとつずつ挟んだままに、空間とわたしの顔を見比べてしばらくぽかんと目と口をあけていた。耐水性のある強力な樹脂の接着剤を探した覚えがある。たぶんその一回しか使わずに捨ててしまっただろう。継ぎ目もほとんど分からないくらい、丁寧に補修したはずだ。実際指でなぜたところで引っかかりもしなかっただろう。知らなければ見た目にも分からない。結局その皿はすぐ捨てさせた。いつまた割れるか分からない上、何より接着剤が溶け出して食べ物を汚染するのが恐かった。
 新聞紙を開くと、彼女が溺愛した深鉢もまた砕けていた。送る時にすでに割れていたのだろうか、あるいはわたしの部屋で眠っていた三年の間のことなのだろうか。包んだ紙は鉢の形をそのままにかたどっていたのだが、その芯はかけらになっていた。補修することも諦めるくらいに見事に砕けていた。わたしは今日まで、この段ボールに鉢や彼女が好んだ数々の食器が入っていることを知りもしなかった。どうしてここにあったのだろう。だが鉢の形をした新聞紙に断片を戻し、そのまま黒ビニールのゴミ袋に入れた。それから水切りかごに重なった皿を一枚一枚棚に戻した。木製の食器棚にはふきんを敷いて、その上に並べることにした。