夢について、三日前の夢、その他

 春になった頃から、また夢にうなされるようになった。奇妙なものも取るに足らないようなものも関係なく夢を見る。もっとも夢が奇妙なのは当たり前で、わざわざ言うほどのことでもない。意味や解釈を読み込もうとすることも、重要そうなものとそうでないものを分けてみることもやめてしまった。わたしに分かるのは、夢を頻繁に見る時期というのは、たいてい何かある――たいてい調子が悪い、ということだけだ。
 夢を見るのは気分が悪い。そんなことは過去にも何度か書いただろう。わたしの暮らしている日常よりよほど日常らしく、現実らしい夢の、そのなまなましさがわたしの調子を狂わせる。だが、やはり夢なんてそんなものかもしれない。
 一晩に何度も目が覚める。そのたびに違う日常を夢に見る。夜中に半覚醒の身を起こし、昨日に淹れたお茶の残りをひと口ふた口舐めて、感覚の冷えた足の先から寝床に戻る。たまにはそのまま前の続きを見ることもある。たいていは違う物語の中にいる。
 翌日起きた時にはその晩の全ての夢を覚えている。だがこまごまとした朝の雑事をこなしているうちに、徐々に薄れて断片になり、やがてはそのかけらすら消えうせてしまう。自分の肉体と地続きの、嫌に現実感のある夢を見たという印象だけがいつも身体に残っている。まだ感覚が指先に絡みついている。
 稀には数日覚えていることもある。記憶に残りやすい条件というのがあるのかもしれないが、今のところ法則は見出せない。印象の強さとも関係がないようだ。夜半に見たものを数日覚えていたりするのに、その後寝直して朝に見た夢はすぐ忘れてしまったりもする。これもそんな夢だ。


 三日ほど前の夜半にうなされて目が覚めた。ほとんど覚醒もせず、そのまままた寝入ってしまった。その後も何か夢を見た覚えがあるのだが、そちらはすぐに忘れてしまった。わたしは実家近くの野道を歩いている。池沿いの舗装もされていない砂利だらけの細道で、雨が降るとすぐ水たまりができた。わたしが育ったこのあたりは、地形的に小山だったことが幸いしたのだろう、近隣を幹線道路や鉄道が貫いていたにもかかわらず膨張する都市部にかろうじて飲み込まれずに、まだまだ自然が多く残っていた。この小山のあたりはわたしが小学生の頃までは、車道ですらところどころ舗装されていない部分が見受けられた。小山とはいえ、山の道はえてして入り組んでいる。今でも知らない人は入ったらなかなか大通りには戻れないであろう。都市部と郊外の工業地帯とを結ぶ幹線道路へと出るには、細道を隔てて並んだ双子の池を迂回して多少の遠回りをしなければならなかった。しかし池の脇にはちょっとした抜け道があった。かろうじて自転車を押して進めるほどの幅の野道で、雨の季節に靴が汚れるのを厭わなければ、やぶと錆びたトタン小屋に囲まれた細道を抜けて、簡単に大通りに出ることができた。今はもう車が通れるように拡張されて、舗装も済んでいる。小屋のあったあたりには大きな平屋の家が建った。
 わたしはこの小道を歩いている。やぶや雑木に囲まれているので小虫が多かった。池もある。池の近くは、やぶと言うよりも湿地になっていた。ここが車道になったのはいつだったか、高校生の頃のはずだ。夢の中でわたしはいくつくらいだったのだろうか。少なくとも、小中学生ではなかった。今のわたしの年齢のまま、その当時の小道を歩いていたように思う。体と思考はたぶん大人なのだろうが、記憶の中にあるその情景が小学生の頃に見たものだったせいだろう、視点の低い風景だった。やぶはわたしの身長近くまで伸びていた。雑木が茂っているせいで、昼間でも薄暗かった。夏の終わり頃は水の腐った臭いがした。池はいつも濃い緑色をしていた。ところどころで打ち捨てられた廃物が草の間から顔をのぞかせていた。わたしは幹線道路へ向かって、その道を歩いていた。
 野道に入ったばかりのところに人が倒れていた。今時珍しい詰襟の制服を着て、帽子で顔が見えない。付近の中学生のようだった。尻を剥き出しにしていた。よく見ると、道の先までそこここに詰襟の男の子が転がっていた。みな一様にお尻を出して、大便を垂れ流して死んでいた。はっきりとした形のある、それと分かりやすい便だった。汚いとは思わなかった。数人積み重なって倒れているのもいた。全員息絶えていた。頬や、耳のあたりが見えているのもいたが、顔が完全に分かるのは一人としていなかった。頬はざらついた安い紙の色をしていた。剥き出しの臀部はみな柔らかそうで、むしろ女の尻を思わせた。子供のような中学生ばかりだった。例外なくズボンを下げて、形のよい糞を垂れ流していた。夢の中でわたしは、彼ら全員が死んでいるのを当たり前に確信していた。死体にそんなことができるのか分からないが、わたしの目の前で音を立てて大便をしたのもいた。
 小道の先、少し開けたところにも、数人の詰襟が重なって死んでいた。同じように下半身を剥き出しにして垂れ流していた。誰も彼もお尻はしっかりと出しているのだが、顔がはっきりと見えるのはいなかった。だが、みんなまだ子供っぽい、男の子の顔つきをしていると思った。性器が見えているのもいなかった。上は全てが同じ制服だった。真黒い詰襟で、擦ったばかりの墨汁を思わせた。汚れの目立ちやすい服だのに、ほこりひとつついていなかった。清潔感と言うよりも無機物の印象があった。彼らの尻にも、同じようにほこりもしみも見受けられなかった。大便は形と音だけで、匂いはまったくしなかった。
 その場所には古タイヤが捨てられていた。大人の肩ほどの高さにまで円筒に積まれていた。わたしがそれを見つけたときにはつぶやくような音を立てて濃い色の煙を出していた。炎は見えないが燃えているようだった。煙があたりをうす曇りにしていた。とてつもなく嫌な臭いがした。タイヤは酷く汚れていた。泥道を走ってきたばかりのようなものばかりだった。小石まで絡み付いているのもあった。その上熱で溶けかかっていた。円筒は崩れていないのに、個々のタイヤはその形を失って、腐った死体のようになっていた。どろどろになったゴムの皮膚から、ぶつぶつと細い煙を出していた。毛穴のひとつひとつから立ちのぼり、頭上で大きくわだかまっていた。この煙を吸って死んだのだろう。きっと火をつけたのも彼らだろうと思った。わたしは息を止めて通り過ぎた。幹線道路に出ると知り合いに電話をし、息を止めて通るようにと忠告した。わたしは携帯電話を持っていた。


 なぜこの夢を、三日経った今でも思い出せるのだろう。前後に見たほかの夢はことごとく忘れてしまったというのに。何があるのだろう? ただ思い出せるのは、この夢を見て夜半に目覚めた時に、自分にとって大切そうな話だとなんとなく思ったことくらいだ。実際どうなのかは分からない。先に述べたように、そうした恣意的な分類は止めてしまった。だが何か、この夢の中に、心惹かれるものがあったのは事実だろう。重要そうなものとそうでないものを分けてみることもやめてしまった、と書きはしたが、たぶんこれは十全に本当というわけではないのだろう。夢にしても、その他のことにしても。自分自身をまったく遠ざけられたらよいといつも思う。わたし自身の好みや感情、判断を無いものにできたらよいと思う。だが、どうしたところでわたしはそれにつきまとわれている。わたしはわたし自身の恣意を嫌悪する。