ぐち

 ぐちでも書いてみる。わたしは英語ができない。ほんとにできない。あきれるほどできない。できないのに、英語で本を読むのが専門の学生をしている(もちろん、論文は英語で書くわけだ)。なんでまた、こんなことにと今でも思うが、なってしまったものは仕方が無い。なにか得体の知れない罠に吸い込まれるように、この研究室に来てもう五年以上になる。
 そんなことはもうどうだっていいのだが、わたしの生活にはこの手の罠が大小さまざま散見される。どうしてそんなことになるのかわからない、常識的に考えて、どうしたってわたしには不利なはずのことに、いつのまにか自分から飛び込んでいる。たいてい自分から罠にはまるのだ。それと知りながらである。苦手なことも不利なことも、十分分かってるくせに、そっちの方へ吸い込まれていくのだ。それも艱難辛苦に立ち向かおうとか、苦手なことこそ遣り甲斐があるとか、そうした勇ましい気持ちですらない。むしろ何の気分さえなく、ただなんとなく、そのままに、罠に歩いていっている。
 今日にしても同じである。気がついたらいろんな義理が重なって、どうしたものか午前の授業に出ることになった。十時半からである。単位が要るわけでもないのに、まったくどういう摂理のことなのか、出ないことには男が立たない。もちろん何の準備もしていない。もう午前の四時半である。やや難解な英文を、英語がとても苦手なわたしが、実質四時間ほどで15ページも精読していかねばならないのだ。間に合うだろうか、間に合うわけもない。まったく、どうしてこんなことになったのか。