古典の条件

 久しぶりに(ほとんど半年ぶりくらいになるのではないか)はてな人力検索の方を眺めていたら、興味深い質問を見つけた。

【100年残る作品】1990年以降の作品の内、22世紀になっても新刊書店で買えそうなのは?

注:「本」がなくなる、という回答は不可。「本」が生き残る未来を仮定すること。端的には【100年残る作品】を問うているのであり、揚足取り的な指摘は無用。なお、文芸書の他、実用書やビジネス書、コミックも可。

 わたし自身、この質問者の方(hkt_oさん)と似たような疑問を抱えていたことがある。今、われわれは百年、あるいはそれ以上昔から生き残っているさまざまな本(本に限った話でもないが)に接することができる。ならば、現在、新刊(新作)として刊行されているものの中で、いったいどれが百年の後にも残りうるのだろうか。
 どの本、どの作品、どの著者が残るだろうかということに興味があったわけではない。わたしが興味を引かれたのは、なぜ、どのような要因が働いて、どういう条件で、本は生き残ったか――生き残るだろうかであった。勝手な想像に過ぎないのだが、たぶんhkt_oさんもそうではないだろうか。既に開かれた回答へのコメントだが、次のようなことを書いておられる。

私が1990年以降と書いたのは、もはや「定番」の出尽くした時代の作品が、果たして100年の命を与えられているのだろうか? という意図を込めてのものです。現代の私たちから見て、手塚治虫より浦沢直樹の方がいいマンガを描くように思えたりするわけですよ。手塚は現代の視点からいえば、絵も話も単純すぎたりして。でも、生き残るのは手塚なんじゃあるまいか。小説だってそうで、必ずしも漱石が素晴らしいとも思えない。現代作家は、やはり日本の小説100年分の進化を背負っている。小説技術も、読ませるストーリーも、まあ、ふつうに考えて現代小説の方が優れている点がある。だから新刊書店で平積みになっているのは現代作家であり、漱石じゃない。でも、漱石はしぶとい。いつまでも生き残っていくわけ。

つまり、後代まで残る作品というのは、今、一番売れている作品ではない。別の何かが関係しているはずなんです。そのあたりをね、探りたいんですね。そのヒントがほしいんです。

 わたし自身がこうしたことに頭を悩ませていた頃には、百年以上前から残っている作品、つまりいわゆる古典には、何かしら共通するような要素、特徴があるのではないかと考えた。例えば、柄谷などが指摘していることだが、漱石は言葉の選び方に非常に気を遣っていたふしがある。彼の生きた時代にしか通じないような言葉、いずれ廃れていくであろう言葉を極力避けて、後の時代にまで読みうるような言葉で作品を書いた。すべてにおいて成功しているとは言い難いが、漱石のこの特徴は同時代の他の作家と読み比べてみた時にはっきりする。一葉などはもはや現代では読みえないところがある。少なくとも、その時代や言葉に通じた専門家でもなければ、注や辞書なしではほとんど読めたものではない。しかし漱石は(もちろん分からないところもあるのだが)それなり読めてしまう。漱石の腐心は単語の選び方そのものから、文化や風俗的なことにまで及んでいる。時代や古い言葉への知識が無くとも、彼の作品はわれわれに通じないこともない。
 似たことはシェイクスピアにも言われている。彼の使う英語は現代英語にまで残っているものが多い。現代の英語を知る読者には、シェイクスピアもこんな言い回しをしたのか、などという感想を持つことがあるらしい。もっとも、これは漱石の場合とはだいぶ違うようだ。シェイクスピアが意図的にそうした表現、言葉を選んだのではなく、むしろこの世紀の大文豪の言葉遣いが現代英語にまで影響を与えているという方が正しいらしい。
 なんにせよ、これもいわゆる古典に一般に言えることではなかった。他のことにしても、結局、共通するような特質だとか要因だとかはどうしても見つけることはできなかった。なぜそれらが年月を経ても読み継がれているのか、どんな力が働いてそれら作品が今に残ったのか、そして現代のさまざまな本のうち、どのようなものが残っていくのか。わたしは答えを見つけることはできなかった。
 今にして思えば、この時のわたしにはひとつ決定的な視点が欠けていたようだ。つまり、百年(実際、何年であっても構わないのだが)残るということ以前に、ある特定の時代、ごく短い時期でもいい、その時代に通じ合ってしまった本、作品というものがある。そのほとんどはやがて消えていくし、例外的に残ったものについても、いわゆる古典となりはしないだろう。だが、そうしたある時代と共鳴してしまったようなものの中に、時代と共鳴するのはなぜかということの中に、この疑問への大きなヒントがあったのではないかと今は思う。


 結局、わたしはこの疑問を放棄してしまった。どれほど考えても何も見つけられなかった。やがて、それ自体わたしの中ではどうでもいいことになってしまった。ほんの一時期、それが数年でもあるいは数ヶ月でも、ひとびとに読まれてそれで消えてしまうような、もう誰にも省みられなくなったような作品にも、それがほんのひと時の間でも読まれたということだけで価値があるのではないかと思うようになったこともある。この質問を見つけて、今日また少し考えてみたが、やはり答えは出ない。少なくとも、質問者さんが求めておられるような1990年以降の本ということでは、わたしは何も思いつかない。既に開かれている回答*1の中にも、わたしには生き残りうると思えるようなものはなかった。わたしはほとんど、本が生き残るための一般的な条件など見つけられない、そもそも無いのではないかとさえ思い始めている。もちろん、あって欲しい、あってくれれば何かの理由、何かの救いにもなるのだが。

*1:わたしが見た時点で 7. まで開かれていました。