弾劾の日

 義理を欠いてばかりいる。義理と言うと言葉が違ってしまうが、わたしの行動規範(モラル・主義、他)として、こういう場合(時、事件、できごと)にはこうしなければならない、と自分で思っていることができてない。それを義理のように感じているのはたぶんわたしの側だけで、相手はなんとも思わないだろう。わたしが勝手に義理にしているだけだろう。その上恐らく、わたしはそれを自分の義務にすることで、それにすがろうとしているのだろう。さも義理を果たすような顔をして――そんな規範はせめて自身の内だけに留めておけばよいではないか。疑念と、そして確かに潜在する欺瞞がわたしの歯車を麻痺させる。だが本当にそうしたかったのだ。
 ペンを掴む時、マグを温める時、折りたたみの携帯を開いた時、カレンダーを見上げる時、ほんのわずかな隙間の時間に同じ疑問を呼び起こす。自分を嫌っている者が他人を好きになれるのだろうか? 最も正視したくない怜悧で真摯な眼が二つ、いつもわたしを見つめている。わたしが失おうとした意志の強さと愚かな勇気、落ち着きと大胆とを兼ね備えた野心が、折れたことの無い瞳に映る。自分を嫌っている者に愛を求める資格があるのか。自分が好きでもないものをひとに愛せと言えるのか。無知と情熱にあふれた虹彩。静止した宇宙を貫くその視線はまばたかない。かつて目指した孤高の罪を贖うために、わたしは自分自身を差し出す――
 心を遅くする。誰か、あるいは何かが。足元に、どこか遥か遠くから伸びてくる影が、くちびると喉と手を麻痺させる。何かをしかけるたびに、心を遅くする。