いやに冷静なわたしもいて、感情のブレーカーも落ちたのだろう。この日常の結末までを眺めていた。足元から奈落に崩れ落ち、滑稽な道化芝居も突然に終わる。馬鹿馬鹿しく悲劇的な笑うしかない舞台の終わりを時計仕掛けの冷めた目で幕の途中から見通した。どうしようもないこともあるよ、と。残りも少ない進行表を終わりまでなぞる指先は計算機の正確さで、侵入しようとする自己憐憫をてきぱきと削り取り、できる限りまで乾燥させた笑いの痙攣を演出する。傷口ふたつ分の大きすぎた穴はぼたぼたうずくこともできないでいる。声も立てられず取り乱すこともできず、失笑と言うしかない表情を貼りつけて道化はこの世から消えるのだろう。破れかぶれな踊りの途中で、伏線も無いまま唐突に、開いた奈落に足を取られて、面白おかしい演奏もまた途絶えるのだ。誰かのせいにしなければ、やってられない誰のせいでもないようなこと。恋人友だち両親神さま環境財産あるいはめぐり合わせでも、けれど誰のせいにもしないため、自分のせいに引き受けることを選んだのではなかったか。歯車音の静かな声がつぶやいて、そして憐憫に酔うことも禁止する。こころの貧しい生涯だった、と模造機械が吐き出したセリフを二重線で消して、より感情も感覚も言葉も少ない別のナレーションに書き換えた。失笑を感染させるべき観客も結局一人も入らなかった。がらんと広い足音の反響は一人分だけで、両脚のもつれた


 感情がどこかに飛んでしまっていて煙草を押し付けてみてもやはり熱くはなかった