覚めない夢

 それは突然に始まった。坂の方から人々が降りてきた。そこは田舎の山道で道の脇には崩れかけた小屋もある。日差しは冷たく右上の天から降ってきて土の地面にモノトーンの影を落とした。大勢が何かを言い合う声と鉄がぶつかる騒音と、坂は寒くて何を言っているのかも聞き取れない。彼らは人殺しをしていた。
 男たち、体格のいい、たくましい、そんな男たちが数人を取り囲んで坂の上から狩りたてるように人間を襲っていた。なにやら武器らしい長い柄の棒を持ち、げらげらと笑いながら、ビールの興奮が昼間の田舎道にはそぐわない。棒の丸くなった柄でこづき、それから坂を蹴落とすように転ばせて、その先を突き刺した。群集は犠牲者たちを取り囲んで、バレーボールをやりとりするように、太った中年男をもてあそんでいた。鋭い刃先を突き刺され、だがけっして殺さぬように、男はそのたびにうなり声をあげて憤怒に燃えた目で彼を取り囲む群集を睨む。男は、もう動く気力もなくなったほかの犠牲者たちを守るように、転ばされるたびに起き上がり、充血した丸い目を動かした。群集は彼のそんな様子をげらげらと笑い、これ以上ないビールのつまみだというように、好奇心と嗜虐心の入り混じった手つきで男をなぶる。太陽の当たる明るい地面に彼の血は吸い込まれてすぐ消える。ぜい肉の多い太ももをその棒で貫かれ、よろよろとうめきながらそれでも男は丸々とした体を破れかぶれに突進させる。よけられるはずのその動きを、わざと体で受け止めて、虐殺者の一人は男と一緒にごろごろと転がる。息を切らして半狂乱で馬乗りになる中年の尻に、やれやれと余裕を持って回した手先が鈍い色の刃物を突き立てる。丸い背骨を反対に曲げて彼は絶叫する。たるんだ顎をいっぱいに上げて、舌の根から空を突き刺し、ナイフが肉をえぐるたびに大きく小さく喉のひび割れた叫びを上げる。群集は声を上げて笑っている。わざと大きく叫ばせるように、リズムをとって、赤くひび割れた肉の中に刃をめり込ませていく。下になっていた男は、大仕事を終えたという風情で、痙攣する中年の肩をどけて立ち上がる。えぐり取った左足を興味もなさそうに脇に投げ捨て、それから観客たちと一緒に爆笑する。言葉にならずに喉をならして、まだそれでもあえいでいる彼を、群集はむらがるように取り囲み、地面の上で動けなくなった体をいっせいに貫く。粗い木目がぐちゃぐちゃと音を立てて、声の出なくなった口から吐き出した舌がびくびくと震えていた。それでも彼は動こうとしていたが、もうどこへ向かって、何を意図しているのかすら分からなかった。それから彼は震える仲間の前で、陽気なゲームの後始末をする群集たちに解体された。


 虐殺者たちにも犠牲者たちにも、男しかいなかった。そこら辺を普通に歩いていそうな、しわの寄った顔の普通の男たちだった。青年の域はとうに過ぎたような、純朴そうな人々だった。わたしはその様子をただ眺めていた。どちらの側にも興味もないように捨て置かれていた。数人の犠牲者たちは太った男を除いては、ほとんど顔も見えず、動こうともしなかった。中年男はそんな仲間たちをかばって、金属臭のにやにや笑いの群集に何度も何度もつっかかっていった。彼は最後までそうしていた。いっそ諦めて殺されてしまえばなぶられることもないのだろうに、だが彼のそんな必死さもまた、群集が楽しんでいるものの一部だった。わたしはただ見ることしか許されていなかった。目をそむけることも許されなかった。彼が殺されることは初めから知っていた。おそらく彼もわかっていただろう。それなのに彼はもがいていた。何度も醜い叫び声を上げて、もうやめてくれとそのたびに思った。群集たちは昆虫をなぶる子供のように、まったく人間的ではなかった。大ぶりなナイフが彼の肛門に差し込まれると、よだれを飛ばしてげらげらと笑った。ぶよぶよにふやけた脂肪の塊とどろりとした不健康な血はすぐに地面に吸い込まれてしまった。群集たちは太陽と一緒に坂の上からぎらぎら見下ろしていた。なぜこんな光景をわたしに見せるのか。もうやめてくれ、と、だが虐殺者たちの目の色にはどこかで見覚えがあった。


 この半月ほど、こんな夢ばかり見る。こんな夢ばかり、というのは正確ではない。ただ一度の例外を除いて、こんな夢しか見ていない。何かが壊れているのだろうか。朝方にようやく眠れたと思ったら、こういう夢を見て、すぐに目覚めた。携帯を見ると五時代だった。三十分も眠っていなかったはずだ。いつもそんな調子で、眠れてもひどい夢を見てすぐに目覚めてしまう。短ければ五分かそこら、多くとも二時間も眠れていない。だがそのたびに見る夢は、いつも必ず丸一日以上はありそうな、長い物語になっている。ほんの五分の間にも、今日のようにただの一場面ということは少ない。それに今日にしても、これも長い夢の間に挿入された、夢の中の夢のような、そんな場面であったのだが。
 どの夢にしても、荒唐無稽な、現実とつながりのないようなことばかりで、だがわたしの日常以上の現実味がいつもある。一本の筋の書けるフィクションのように、物語になっていて、そのお話の中でわたしは時には医者であったり、冒険家であったり、政治家であったり、現実からは離れた何かの役を演じている。今日のこの場面のように、ただの傍観者であることは少ない。そしてどの物語にしても、そうした役を演じながら、そしてその役に現実以上のリアリティを感じながら、しかし俳優が舞台の筋を知っているように、この先どうなるのかを必ず知っているのだ。誰が死んで、どこでどうなるか。いつもわたしは悲劇的な結末を知っていて、そして不可能だと分かりながら、いつもそれを覆そうと夢の中であがいている。
 いつも、どの夢も死にあふれている。大洪水で、町中に死体が転がっていたこともある。書いてしまえば馬鹿馬鹿しい夢なのだが、天使か悪魔か、とにかく殺されても何度でもよみがえる何かになって、ずっとそうしたものたち相手に戦争し続けていたこともある。自分も相手も、何度死んでも、死の苦しみを味わいながら、だがよみがえってしまうのだ。取っ組みあって、相手の体をばらばらにして、自分の体もばらばらにされて、だがそのたびにすぐ生き返る。そんな戦争の先にある破滅を避けるために、自分も敵も、殺されながらしかし戦い続けているしかないのだ。そしてそれを避けられないことを自分でよく知っていながら。冒険家になって高山に登ったこともある。次々と仲間やライバルが墜落して消えていった。どの夢にしても、いつも死に満ち溢れている。
 そしていつも、その予見した(というよりも夢の始まりから知っていた)結末を避けられず、それは夢の世界自体の崩壊を意味するのか、それ以上眠り続けることができなくなるのか、必ず起きてしまう。時には冷や汗をかいて、あるいは叫んでいるかもしれない。いつも目覚めてしまう。だが目覚めた現実と、その夢の中の「現実」と目覚めてもまだ、どこかでつながりが残っていて、わたしは結局完全に、夢から覚めることができないでいる。その現実さの無い現実に目覚めるたびに、わたしはここにいていいのだろうか、もうここにいられないのではないかと思う。自分が生きていることが何かこの世界自体への罪であるかのような気がして、そうして目覚めて呼吸していること自体がさみしく、不安になってしまう。またこの世に目覚めてしまったのかという思い。夢の世界でそうだったように、自分が近い将来に消えてしまうのではないかという恐怖。夢の始まりからいつも結末を知っているように、この目覚めた現実でも、自分がやがて消えてしまうという結末を知っている。近い将来に、わたしは消えるだろう。あとかたもなく、どうしようもなく。あがいても、さからってもどうにもできない、決められた物語の筋として、わたし自身が消えるだろう。そんな気分が目覚めてもすぐにわたしを襲い、全身に短いふるえが走る。いつもそのたび、消えはしない、まだ生きているのだと、自分自身のわずかな理性を編み上げて、必死に、つぶやくように言い聞かせる。そんな気がするのは、おかしなことだ。夢からまだ覚めきっていないだけだ。常識的に考えて、そんなこと分かるわけがないだろう。だがそうした理性よりも、自分が消える、という予知の感覚の方がいつも肉体になじんでしまう。今もまだ夢から覚めない。こうして書きながら、何も書けてもいないことを知りながら、だが夢から覚めもしない。