Joker

一年と三ヶ月ぶりに煙草を吸った。


俺は昔、Jokerという煙草を吸っていた。独特の臭いと味のある煙草で、自分は大好きだったけど、周りには非常に不評だった。細くて長い、茶色の、いかにも厨二病くさい煙草だった。自分と、当時の彼女にだけは好評だった。あまり外に出ない俺の代わりに、よくJokerを買ってきてくれた。


あれが生産中止になったのは2001年の8月だった。それから色々あった。その彼女(一番長く同棲した彼女だった)とも別れ、うつ病になり、大学院も辞め、よかった時代は次々に去っていった。ガラムを吸い、Moreを吸い(これも生産中止になった)、缶ピーを吸い、葉巻にも手を出し、ショート・ホープも買い、でも結局、Joker以上に肌にあう煙草は見つからなかった。一年と三ヶ月前には禁煙もした。その時は彼女だった(そして現在も形の上では彼女であるはずの)人との約束で、タバコも辞めた。それもその時は嬉しかった。


もう8年近くも昔のことだ。いまだに、Jokerを吸う夢を見る。煙草を辞めても、いまだにJokerが自販機(当時の彼女の家の近くの煙草屋の前にあった、錆びた自販機。タスポもいらなかった)に並んでいて、それを買って吸う夢を見るのだ。


生産中止になったJokerの箱、このデザインも好きだった。この箱に二本だけ、なぜか2という数字の数だけ、取ってあったものだ。


何かとても辛いことがあった時、何かとても幸せなことがあった時、何か自分の身に大きな出来事があった時に、吸おうと決めていた。

彼女と別れた時にも手をつけなかった。病気になった時にも、院を辞めた時にも。なのになぜ、今なのか。それは分からない。そしてなぜ二本残っていたのか。自分の人生のどん底に耐えるための、あるいはチャンスが二回あったということなのかもしれない。


喫煙用具をすべて捨ててしまっていたので、久しぶりにライターを買った。Jokerを一本を取り出して、火をつけた。開封され、賞味期限も切れ、乾燥した部屋に置かれていた煙草が旨いわけはない。けれど自分の好きだったあの臭い(周囲には非常に不評だった)と、味がわずかに返ってきたような気もした。そしてやはり、古くなった煙草独特の苦味がした。後味は悪かった。


Nick Adams(ニック・アダムズ)も同じことを思ったのだろうか。"The Big Two-Hearted River"(短編「二つの心臓の大きな川」)で、戦争による心の傷と、もう失われてしまった過去の友情や青春に決別をつけるために、Hemingway(ヘミングウェイ)のヒーロー、ニックは山に分け入り、キャンプし、鱒釣りをする。そのキャンプで、去って行った友人Hopkinsのことを思いながらコーヒーを淹れる。

Nick drank the coffee, the coffee according to Hopkins. The coffee was bitter. Nick laughed. It made a good ending to the story.
ニックはコーヒーを飲んだ。ホプキンスのやり方で淹れたコーヒーだった。コーヒーはまずかった(原文bitter、「苦い」ではなく「不味い」と、自分は解釈しています)。ニックは笑った。それはその物語のよい結末だった。

"a good ending to the story" 「その物語のよい結末」
もちろんニックの「物語」と俺の「物語」は違うし、Jokerの後味が悪かったことを、ニックのように「よい結末」とシニカルに思えるかどうかは分からない。

ただ自分が、今そういうことを思って、そしてかつて大好きだったこの短編を思い出したことには、何かしらの意味があるのだろう。
あってくれと思う。