感覚

たまにニュースを見る。以前から感じていたことだけど、ニュースや世間が当たり前に前提としていることと自分の感覚や認識が大きくずれていることに気づかされる。困ったなと思う。

相撲に限った話でなくて、見世物として(つまりエンターテイメント、興業として)スポーツをやる以上、八百長なんてあって当たり前、ない方がおかしいと思っていたのだけれど。どうもこの認識の方が世間ではおかしいらしい。相撲だろうがプロ野球だろうがボクシングだろうが、そんなもんなければ見世物になりえないと思うのだけど。
あと素人考えかもしれないけど、あんな15日連日で格闘するのに八百長完全に無くしたら、怪我人だらけになって、見世物として維持できないと思うのだけど。どうなのだろう。

減税して得するのはお金持ちや、地位なりなんなりを持っている側の人で、持たざる者ほど損すると思うのだけど。お金持ちや大企業などが現市長に投票するのはとてもよく理解できるのだけど、むしろお金のない人などが支持してるのが全く理解できない。「俺たち金無いのに議員やってる奴らばかり税金から高給取っててずるい」って目先の感覚に、お金のない人たちが踊らされただけに見える。
それと税金って、個人個人じゃできないことを、みんなからお金集めてみんなのためにしましょうってものだと思うのだけど。たとえるなら、俺はキャベツ作ってる。俺はそのままだとキャベツしか毎日食えない。隣のやつはカボチャ作ってる。そのままだとカボチャしか食えない。だからいったんみんなから少しずつ集めて、みんなの野菜で料理しましょうって料理人が政治家だと思うのだけれど。ただ「減税します」言うだけで中身の無い名古屋市長のせりふは、料理人で言えば「俺らが料理するよりおまえら各自でそのまま野菜食った方が旨いと思うから勝手に喰えよ」って言ってるように聞こえる。
自分がレストランの経営者だったら、こんなコック即クビにすると思う。

  • 京大ほか各大学入試での不正

そんなもん昔からあって当たり前。今回出てきたのはほんの氷山の一角で、むしろ上手い人たちは表に出ないようにやっていた。入試の不正を根絶することは不可能だろうし、そもそも根絶する必要もない。
と思っていたのだけどどうも世間の認識は違うようだ。
入試ってのは、要するに各大学が自分とこに都合のいい人材を選ぶ手段なんだから、都合よく選べればそれでいい。不正があろうが無かろうがそんなのは問題ではない。
たとえばある問題を理解できるような生徒が欲しいなら、その問題をきちんと理解して解答を書けるかだけ調べればいいと思うのだけれど。それがインターネットで人に教えてもらった答えだろうが、自分がその場で思いついた答えだろうが関係なく、きちんと理解して書いているなら合格に値するだろうし、人に教えてもらった答えを丸写ししただけの解答では正解にならないような出題がされているものだと思っていたのだけれど。
まあよく分からない。