あなたたちは何をしていたのか、わたしは何をしていたのか

頼まれて中学三年生の教師をすることになった。既に十日ほどが過ぎた。まもなく高校受験を控えた生徒である。


彼は勉強ができない。
彼には「私が本を読む」のか「本が私を読む」のか、その区別がつかない。ことばというものの大切さも理解しない。美しい花と言う時に、「美しい」が「花」を説明しているのか、「花」が「美しい」を説明しているのか、その区別が彼の中にはない。


あなたたちは何をしていたのだ。あなたたちは、なぜそれを放置したのだ。


彼は障害者ではない。よく言われる学習障害でも識字障害でもない。生まれ持った能力に何の問題もない。ただ丁寧に説明しさえすれば、これらのことを、ことばの仕組みも、ことばの使い方もよく理解する。それだけの能力がある。
彼に無かったのは、ただ適切な教育である。


あなたたちは何をしていたのだ。名古屋市立小幡小学校の教師達は、何をしていたのだ。彼の親やまわりの人々は、いったい何をしていたのだ。わたしは、立場は違えど、ひとにものを教える役割の人間としてこれを恥ずかしく思う。申し訳なく思う。彼らは、わたしたちは、先生として何をしていたのだ。


「先生」ということばは、「先」に「生」きると書く。わたしたちは彼より早く生まれ、先に生きてきた。先に生きたものとして、自分たちの得たものを、修得した知を、彼に分け与えるものである。彼の親、彼のまわりの年長者たち、わたしも、小幡小学校の教師たちも、今彼が通う守山東中学校の教師達も、あなたたち(わたしたち)は先生ではない。先生と呼ばれる資格もない。あなたたちは仮にも先生と呼ばれるものとして、何をしてきたのだ。あなたたちは先に生きるものとして、何をしていたのだ。


彼は「ことば」ができない。それはおそらく、彼の責任とは言えない。だのに今、それを取り返せるのは彼自身しかいない。彼は自分で、自分ののちのいのちを懸けて、それを取り返すしかない。あなたたちは(わたしたちは)それを恥ずかしいと思わないのか?


十日あまり、彼はわたしの生徒として、わたしが望んだ以上の努力をしている。それはそうだ。彼にはもう、取り返す機会はないのだ。今を除いて取り戻すことも、その機会もないのだ。


ことばというものの大切さを理解しなかったのは誰だ? 彼ではない。あなたたちは何故、それを理解しなかったのだ。あなたたちはそれでも「先生」か。「先生」と呼ばれる資格があると思っているのか。あなたたちは「先生」ということばで呼ばれながら、いったい何をしてきたのか。先に生きるものとして、何をしてきたのか。それを恥ずかしく思わないのか。


ことばの大切さを分かっていないのは誰だ。


彼は中学に上がる際、守山東中の担当者たちに障害児学級に入れるかどうかを問われたと言う。しかし彼は断じて障害者ではない。障害者でないものが、ただ適切な教育をそれまでの六年間に受けられなかったというだけで、障害者学級に入れるかどうかを問われたのだ。小幡小学校の教師達は、これをどう思うのか。


わたしが同じ小幡小学校の生徒だった昔、一学級は五十人ほどの人数がいた。今ではそれは削減されて、四十人かその程度の人数と聞く。思うに限られた授業の時間でそれだけの人数に、一様の教育を施すことは不可能であろう。ならば七割、せめて六割の生徒が理解することを、授業で教えようとするだろう。つまり三割か四割の生徒は画一的な授業の方法では理解できないということになる。そしてその三割か四割のために、本来教師はいるのである。
画一的な、まとめて多くの生徒に教えるやり方では理解できない生徒には、それぞれの生徒に理解できるやり方で、それぞれに教える他はない。
ひとには様々なひとがいる。ものの見方もとらえ方も、ものごとについてどう考えるか、考える筋道や方法も、ひとりひとり違うだろう。その中の多数に分かるやり方で、七割か六割を救おうとするのが授業である。そして多数に施すやり方では理解できないひとりひとりの個性のために、その個性に分かるやり方で個々に教えるのが教師である。


小幡小学校の教師達よ、そして守山東中学校の教師達よ、あなたたちは教師ではない。


教育をしなかったのだから、あなたたちは教師とは呼べない。


教育には、あるいは勉強には、様々な側面がある。いろいろなとらえ方がある。面白いから、勉強をするものもいる。勉強を楽しめる生徒は幸いだろう。一方で教育には、武器を与えるという意味もある。
生徒達は遅かれ早かれ社会に出る。どんな言葉で言い繕おうが、社会は結局戦争である。たとえば就職の一つしかない椅子を巡って三人が争うこともある。譲れない夢を叶えるために、互いに蹴落としあうこともある。どうしても好きになったひとりのために、二人が恋を伝えることもある。
その争いの、武器を与え、武器の使い方を教えるのは教育である。


あなたたちは武器も与えず、武器の使い方も教えず、丸腰で彼を戦争に出そうと言うのか。


彼は今後、どう生きるのか。生き延びるすべも与えられず、生き延びるための武器、道具も持たず、彼はどうやって生きるのか。生まれ持った障害も無く、彼自身の落ち度もなく、ただ武器を持たされなかったと言うだけで、彼は社会に殺される。あなたたちに、それを自覚した彼の絶望が分かるか?


彼はまもなく受験を控える。そののちに待ち受けるものに比べれば、たいしたものではないだろうが、これもまた戦争である。彼は武器を持たず戦争に赴く。もしその戦争に負けたなら、彼はその先にあるさらに苛烈な戦争の、その人生という戦争で生き残るすべを、生き残るための武器を、得る機会を永遠に失う。彼が生涯の戦争を、その中で生きるすべを、武器を手に入れるためには、何にかじりついてでも、今目の前にある受験に勝ち抜き、高校の三年間で武器を手に入れるしかないのだろう。


わたしもかつて、授業を理解できない三割だった。授業のやり方からはあぶれてしまう、おそらく個性的な生徒だった。平均的な考え方や筋道よりも、自分なりの筋道でしか教科書を読めない生徒だった。わたしもまた、そのまま放置されたら彼と同じように武器を持たず放り出された生徒となっただろう。大学どころか高校さえも行けなかったかもしれない。
彼が三年前まで通ったその名古屋市立小幡小学校の、わたしが通った時代には、しかし幸村先生という恩師がいた。彼女はそんなわたしに、わたし自身の筋道にあわせたやり方やものの見方で、教わるべきことを、教科書の内容を、読み取るやり方を教えてくれた。彼女はわたしに武器を与えてくれた。授業の筋道では理解できなくとも、わたしなりの筋道で、教育を読み取るやり方を教えてくれた。わたしはそうして武器を持った。わたしは長じて、多くの人がうらやむような大学に入り、院に進み、自分の筋道の中で勉強の、学問の意味を知った。あらゆることをわたし自身のやり方で思索することができるようになった。けれどもその始まりは、彼女の教育にあっただろう。
なぜ小幡小学校は彼女のやり方を失ってしまったのか。


彼は今、ようやく自分の状況を見つめている。自分がどれだけ遅れているか、まもなく始まる戦争の、その戦争に巻き込まれる兵隊でありながら、武器を持たされていないことを初めて自覚した。あなたたちに彼の絶望が分かるか。彼は、彼の責任ではなく、ただ教師や親や年長者たちにニグレクトされたと言うだけで、そのたいせつな生きるすべを持たされていない。武器も鎧も道具も持たず、ひとがひとを蹴落としあうその苛烈な戦争にかり出されることになる。彼の責任は何もなく、また生まれ持ったハンディもなく、それでも今、それを取り返せるのは彼自身しかいない。あなたたちが放置したことの、あるいはわたしたちが放置したことの、その失地を取り返せるのは彼自身しかいない。彼の責任ではないのに、彼自身がそれを取り返すしかない。


けれども彼は努力する。わたし自身の望外に彼は今努力している。自分が与えられなかった九年間を、彼自身の努力において取り返そうと、絶望的な努力をしている。わからないことばの意味を、彼自身の筋道でわかろうと、いのちを懸けた努力をしている。もしわたしが同じ立場であったなら、おそらく絶望して勉強そのものを止めてしまうだろう。そしてそのまま堕ちていくだろう。だのに彼はひとりで努力しているのだ。彼がなくしたわけではないものを、しかし彼自身の責任と努力において取り戻そうと努力しているのだ。わたしは今まで、彼ほど努力する生徒を見たことがない。今まで小学生から高校生、そして浪人生まで見てきたが、できない子もできた子も、一流と言われる大学の医学部に行った生徒も、あるいは落ちこぼれていたような子も、そうした生徒たちのどの子と比べても、彼ほど努力している生徒を見たことがない。わたし自身、あれほど努力したこともない。
彼はそうした絶望の淵で、のちのいのちを懸けてまで、今まで与えられなかったものを取り戻そうと人外の努力を続けている。彼がもし今取り戻せなければ、生きるすべを、生き残るための武器を得ることも、この先に一度もないだろう。あなたたちに(わたしたちに)その絶望が分かるのか?


彼は武器を持たず戦争に赴く。