食事

 以前からとてもお世話になっているご夫妻に夕食をご馳走になる。仕事をしなくなってからというもの、長らく縁がなかったような高価な食事となった。オークラの最上階のレストランに連れて行かれ、フレンチのコースにモンラッシュ他のワインを飲む。だが、必ずしもおいしくはない。
 わたしはおいしいものに目がない。これまでの人生で今にして思えば考えられないような幸運に恵まれ、たかが二十代のそれも学生としてはありえないような美食体験をしてきた。大学に入った年に出入りし始めたとある編集プロダクションの社長には、ことあるごとに東京へ連れられ大手出版社の編集部員たちとともに豪勢な食事をご馳走になった。たまたま大学とは関係のないところで知り合った大学の教授は、顔を見ると必ず高い酒を飲ませてくれた。もう数年以上日本に滞在しているというある外国人は、京都の和食の本当に旨い店と、そして彼の母国の味が日本人向けにやわらげられたものではなくそのままに味わえる大阪の店とによく連れて行ってくれた。似たようなことは大学に入る前からよくあった。そしてまだ二十歳にも満たない頃のわたしはそうされることが自分の実力であるかのように思っていた。
 こうした人たちのほとんどから今はもう疎遠になってしまっている。彼らがわたしを見限ったのだろうか、わたしの方から離れていったのだろうか。彼らはわたしに何を期待していたのだろう、足場のない自信とぎらぎらした思い上がりのみで生きていた若造を、世慣れた彼らがそれと見抜けなかったはずはないのだが。
 この夫妻はほとんど唯一いまだそうしたことをしてくれている人たちだ。あなたたちはわたしに何を望んでいるのでしょうか、わたしはそれに応えられるものを何も持っていません。ほんとうに何もないのです。
 わたしが何かを食べておいしいと言うと彼らは嬉しそうな顔をし、次の食べ物を勧める。奢られることに慣れた人間らしくごちそうさまをあまり重たくないように伝えて、鷹揚な満足の笑顔を作る。おいしかったです。また行きましょうね。おやすみなさい。気をつけて帰りなさいね。彼らを乗せたタクシーが遠ざかっていく。