頭の悪さについて

 わたしは頭が悪い。そして愚かである。わたしから見て頭がよいと思える後輩が、自分が馬鹿であることが許せないと言っていた。彼女の目にはいったいどれほど賢い世界が映っているのだろう。わたしには想像もつかない。
 私見だが、それぞれの個人にはその個人の生活に見合った頭のよさというものがある。その人に必要なだけの頭のよさと言ってもよいかもしれない。もしその必要量にその人の頭のよさが満たないならば不幸にしてその人は愚かだということになり、またそれを越える頭のよさを備えているならばその人は賢いということになる。頭の悪さと愚かさは違うことだ。
 不幸にしてわたしは頭が悪く、その上過分な頭のよさを求めている。わたしにとっては自分があまり悩まず苦しまずに生きていくだけの智恵が欲しいというだけなのだが、それはわたしの頭の力量をどうやら超えているようだ。それだけの頭のよさがないために、木箱の迷宮の中でいつまでもチーズにたどり着けない愚かなネズミのごとく常に苦しんでいる。不幸なことだ。こうしてわたしは愚か者になった。