もの忘れ

 頭が悪い上、かなりいいかげんな性格なので忘れ物が多い。どこかに何かを忘れてくることも少なくないが、自分の部屋に何かを忘れて外出してしまうことが一番多い。小学生の頃から治らない。忘れ物の罰で立たされたことは多い。先生もついに立たせるのを断念した覚えがある。立たされる方はとっくにあきらめていて悪いとも思っていないのだからどうしようもない。一日中立たされっぱなしではもう罰なのかなんなのかわからない。そしてまたもの忘れも多い。
 最近、思い出すたびに次に出かけるときは忘れないようにと思うことがある。あるのだが出かけるときには必ず忘れる。今も当然思い出せない。何か持っていく約束があったということだけ漠然と覚えている。相手に聞けばよいことだがそれもままならない。だってバカみたいじゃないか。
 こんなわたしでもまず忘れないものが二つある。一つは財布であり、命にかかわるのでかなり気をつけて忘れないようにしている。もう一つはタバコである。なかなかのヘビースモーカーであり、日常タバコは欠かせない。ニコチンの禁断症状は相当恐ろしい。
 ところが、ついに今日タバコを忘れた。急いでいたので途中で買うこともできなかった。学校で買えないことはないのだが、購買部にあるのは弱い種類ばかりでわたしが吸うに耐えないのである。ショートホープ以上でないと紙を丸めて火をつけているのと変わらない。
 普段なら授業をサボって帰るのだが、自分の担当箇所がある以上それもできなかった。案の定だんだんと嫌な気分になり、胃がもたれているような感じがし、教室の隅でアメーバのように静かにとろけていた。やがて授業は終わったが、すぐにどこかでタバコを買って吸えばよいことなのに、なかなか身体に力が入らない。ほとんど快と不快の臨界的なところを空中遊泳するかのようによろよろと家に帰った。途中でタバコを買う力もなかった。部屋でタバコを吸うと、かえって気持ち悪くなり何もできず横たわった。
 実はタバコを吸うようになったのは二十歳を越えてしばらくしてからである。吸うようになった理由はいろいろ思いつくが、どれもたいしたものではないし、吸うことの言い訳のために作ったようなところがある。ただ覚えているのは吸い始めて間もない頃、肉体的にも精神的にもへこたれる塾講師のバイト帰り、滋賀のベッドタウンの人一人いない深夜の駅で、誰もいないことをいいことにショートホープを一本吸った。全身に蓄積した糸くずのような疲労感が、やさしく糸を抜くようにほぐれていくのがわかった。以来ずっとヘビースモーカーの道を歩き続けている。
 大方の喫煙者がそうであると思うのだが、やめようと思ったことはある。そしてやめる気になればいつでもやめれると思っている。大方の喫煙者と同じようにどちらも嘘である。だが、自分が本当にやめなければならない理由ができた時には、自分の何かをかけてもやめようと思う。