詩でも書いてみようかと思った

 ふと、詩でも書いてみようかと思った。人間、暇になるとろくなことを考えないものだ。もちろんただ言葉を並べたものではなく、それが詩である以上、厳格なルールをもって書かれなければならない。それでまずルールを作るところから始めた。

  1. 自分のことを書いてはならない

 一人称の代名詞を使ってはならないのは当然として、一人称の語り手を想像させるような表現を使ってはならない。例えば、何かに対する呼びかけ、語りかけ、従って二人称代名詞などもってのほかだ。次に主観の持ち主を想像させてしまうような価値判断、つまり美的判断。空が美しいなどと言えば、当然そこには空を美しいと判断した一人称の主観が想像されてしまう。子どもでもわかることだ。直接に自分のことと書いていなくとも、自分自身の姿を投影しているとか、暗示しているとか思われるような表現も避けたほうがいいだろう。よって動物は全て使えない。器物でも危ないものがいっぱいある。精密な慎重さでこのあたりは望まねばならない。だいたいが自分のことを書いた詩などくだらないのだ。中也の詩の8割とホイットマンの10割は読むに値しない。

  1. 数学的な規則がなくてはならない

 詩文である以上、文自体が数学的にできていなくてはならない。しかし、このことを考えるたび西欧語はうらやましいと思う。西欧語であれば脚韻を踏めばそれなり数学的規則になりうるからだ。というのは一般に西欧語は音節の種類が多く、そのため韻律によって使える言葉がある程度制限を受ける。しかし日本語は残念ながら、たまたま同じ音になってしまうほど音節の種類が少ない。この言語では韻を踏むのはたやすいが、踏んだところでそれほどの規則にはなりえない。かかる状況に脚韻に代わる数学的規則を持ち込むとなると、まず音的には全体の高低アクセントをそろえるのがよいだろう。各行厳密に同音節数とし、その音の高低アクセントの形が全てそろっていればよろしい。これだけではまだ弱いと思われるので、さらに母音も全行同じにしたら十分だろう。
 この二つの音の規則は、実際のところ使い古されている感もあるのでさらに音以外の規則を導入するとよいだろう。音に対して視覚にうったえる規則があればなお悦ばしいのは確かだ。音数をどうせそろえるのだから、文字数もしっかりとそろえて、その各文字を画数に直した時に数字が魔方陣を描いているというのはどうか。実に数学的ではないか。画数が多ければ当然見た目に黒く見えるので、それが魔方陣を描いていれば紙の濃淡もまた美しいだろう。もっとも厳密に魔方陣とするなら同じ数が出現してはならないが、ひらがなは画数の同じものが多いのでそれは許していただく。一行20文字の20行でこれを行えばよいだろう。詩としては短すぎる感もあるし、なにより自分は正方形という図形はあまり好きでないが、この際目をつぶることとする。

  1. 日本語しか使ってはならない

 当然である。もっともこの当然のことが難しい。実際外来語でないと書けないものが多いのだ。これを大和言葉だけとするとなおすばらしいのだが何も書けなくなってしまう恐れがある。戦前までに日本に入った言葉で、漢字かひらがなで表記のあるものは「日本語」として許してもらうことにしよう。さもないと梅も書けない。それ以外の言葉、例えば漢字表記があるのかもしれないがあまり一般的でないキャベツなどは、諦めるか自分で新語を作るしかあるまい。

 もっと規則を増やしてもよいのだが、多すぎてもつまらない。このくらいにしておこう。と、ルールを作り終えたのだが、ルールを作ること自体に十分満足し、結局詩などは書かなかった。それはそれでいいのだろう。