自己分析

 こうした本を読んでいて、自分を分析してみたくなるのはなにもわたしだけではあるまい。自分にはどのような傾向があるのか、病気なのかどうか、病気だとしたらどの程度のもので何の病気なのか。もちろん、まともな本であればたいてい書いてあるように、こうしたことを自分で分析しようとすることほど危険で信憑性のもてないことはない。ものすごく単純に言うなら、気狂いが自分が気狂いかどうかを判定しようとしていることにもなりかねないからだ。だが、それはそれとして、こうしたことを考えるのは楽しくはある。
 性格的な側面としてはスキゾフレニア(分裂)的なものがある。色々なことを同時に考えたりできる反面、なにもかもにまとまりがない。おおざっぱで乱雑でいいかげんである。あきっぽい。一方で症状的にはパラノイア(偏執)的なところもある。時折病的な計画性を発揮する。何かに興味が向いている間に限れば異常に集中力がありこだわりをもつ。神経質な面もある。わたしの知っている範囲ではスキゾフレニアとパラノイアは並び立たないほど正反対のものであったはずだが、これはどういうことなのだろうか。単にどちらも普通の人に起こりうる範囲を出ていないだけの話なのかもしれない。
 病気なのかどうかは判断のしようがない。これはわたしのせいではなく、読んだ限りほとんどの本がこのことで困っている。プロの医師や研究者にもどこから病気なのかは大問題であるのだ。脳に視認できるような病変があるならCTスキャンによって確認もできようが、あいにくわたしはCTスキャンを持っていない。それに病変が確認できるのは一部の病気に限られるらしい。仕方ないので多くの医者は日常生活に支障をきたすほどのことがあれば病気ということにしているらしい。しかしどうなのだろうか。日常に困っていることも確かにある。生活するのがかなり辛い。相当な意志によって作り上げた自分の姿を維持していないことには外に出るのもままならない。生きていようとしないと、生きていられないような感じだ。だが、支障をきたしていると言えるのだろうか。生きているのは確かだし、例えば歩けなくなったり目が見えなくなったりしたわけではない。結局これでも病気かどうかはわからない。
 仮に病気だとしたら何の病気なのだろうか。性向分析ではなんなのかわからなくなったが、おそらく分裂病ではない。この病気に特徴的なのは、ありもしないものが見えたり聞こえたりする幻覚・幻聴である。これは見られない。とは言え、この病気の最大の特徴は病識のなさである。ひょっとしたら自分では現実にあるものと思っているものが幻覚であるかもしれないし、自分でこの病気ではないと思っているそのことこそが、この病気であることを示しているのかもしれない。
 スキゾフレニーでないとするなら、典型的なパラノイアの病気である鬱病はどうであろうか。日々の抑うつ感や自殺念慮などあてはまる点は多い。だが、これがなければ鬱病ではないと言える鬱の本体的な症状、異常な責任感とその順位をつけられなくなること、についてはまったくない。むしろ責任感など最も縁のない感情である。従って鬱ではない。だいたい攻撃的傾向のある性格の人間が鬱であるはずもない。双極性障害躁鬱病)ならまだしも可能性があるが、これもありえないだろう。抑うつ状態でありながらも攻撃性向が表に出ること、つまり躁状態鬱状態の特徴が同時に現れることはこの病気ではありえない。
 このように典型的な症状が現れているかどうかで消していくと、わたしにとっては残念なことだが、ほとんどの病気が残らない。可能性があるのは、およそ精神医学の病気とは言いがたいような境界性人格障害(ボーダーライン)だけである。しかしこれだけは矛盾なくよく当てはまるのだ。残念ながら今回の自己診断の結果としては、病気ではないか、もし病気であるとするなら境界性障害であるとせざるを得まい。実はこの病名(病気とは言えないようなものなので、病名というのに違和感はあるのだが)を知った時から、恐らくこれであろうとかなり以前からあたりをつけていたものである。これは、病気や異常というよりはむしろ多少性格の極端なものとされており、抑うつ感、疲労感といった鬱病の特徴の大部分を持つためにしばしば鬱病と混同される。ただし鬱病の最大の特徴である責任感はまったくなく、むしろ無責任と言ってよい。いわゆる贋物の鬱病とされているものの大部分がこれである。鬱であるようなそぶりを患者はとるが、例えば自殺をほのめかしたり実際にその行為を行ったとしても、たいていが自分に注意を引くための演技であり本当に死ぬつもりはまったくない。従って鬱の場合とは違い、人目のないところではけっして自殺しない。甘えた精神の所産による、病気とも言えないただの性格傾向であり、難治性の場合を除いて非常によく薬が効く鬱とは違い、そもそも病気ですらないのだから当然だが薬はほとんど効果を持たない。このように書いてきたのでわかると思うが、かつてヒステリーと呼ばれていた発作や性格のほとんどはこれである。
 今回の自己分析はこのへんで終わっておこう。余談だが、ボーダーラインの典型的な特徴とされているものの一つに、このような自己分析癖が挙げられている。