期待の齟齬

 かねてから目をつけていたフレンチレストランに行く。
 本に関してもそうなのだが、その分野のものにある段階を越えて親しむと外観だけでその内容の程度がわかる。本であれば、本屋の店先でタイトルや背表紙をざっと眺め、手にとって表紙と裏表紙に目を通し、より詳しく見るときには目次やあとがき、解説のたぐいを軽く見る。これだけでだいたいその本が面白いかどうかわかる。もちろん、裏切られることもある。だが、確実に打率は上がっていく。
 飲食店に関しても同じだ。だいたいの店構えやその店に入っていく人、出てくる人の雰囲気、店の周りを漂っている匂いである程度のレベルがわかる気がする。もちろん、これも裏切られることもある。現段階でわたしの打率は4割かそこらだろう。こう言うとぜんぜん当たってないように感じるかもしれないが、これは相当なものだ。でたらめに入ったら恐らく1割も当たらない。
 情報が多いほど打率は上がる。これはあたりまえだ。ただその前を通って店を見るだけでなく、その店を載せてあるタウン誌の類やグルメサイトなどに目を通し、紹介文を読めばだいたい外れなくなる。もちろん、そこに書いてあることを鵜呑みにするということではない。そもそもそうした場所には悪いことは一切書かれない。だが、それを書いた人の書き方の呼吸で多少のことはわかる。
 この店はそうした紹介記事の感じは悪くなかった。それを見た感じだけで判断するなら、そこそこ食べられるものが出るのではないかと期待させるものがあった。少なくともハズレの店ではないだろうと思う。
 しかし、である。比較的近くにあり、よく通る界隈に店を構えているにもかかわらず今まで行ったことがないのにはそれなり訳がある。自分でその店構えを見た感じ、あまりおいしそうには見えなかったのだ。よくてもまあ食べられないことはないという程度、悪ければどん底までありうる感じの店の雰囲気だった。
 果たして、どちらが正しいのだろうか?