その計画

 最初にリハビリとして考えたのは、一日最低10分以上、人間と会話することである。NTTの番号案内やコンピューターのチャット、メール、注文を取りにきた店員とのやりとりなどは反則とする。電話はOKだ。自分がしゃべらなくたっていい。相手の話を聴いているだけでもいい。
 だが、これはやめてしまった。第一まるで達成できないのだ。誰かと、例えば宗教の勧誘にわざわざやってきたエホバの証人とでも、何かを話すというのは意外に難しかった。それが宗教の勧誘であれジュエリーの販促であれ、話すのはわたしは楽しい。だが、わたしと10分なりの時間を無駄にさせるのは相手に申し訳が立たないだろう。勧誘員であれば限られた時間でできるだけ多くの客に金を出させなければならない。わたしのように絶対に宗教に入るはずもない、あるいはジュエリーなど買うはずもない相手に時間を使わせるのは失礼だろう。そうした相手でなく、例えば学校などでたまたま出くわした知り合いなどであればなおさら深刻だ。わたしのようなもののために彼らの時間を無駄にさせるわけにはいかない。だいたい苦しんだり困ったりしているのはわたしだけじゃない。彼らも、みんなも、同じようにそれぞれの苦しさを抱えているのだ。そうした人々に迷惑をかけるのは失礼だろう。
 この試みはそういうわけで頓挫したが、もう一つの試みとして、取り立てての理由がないのにたまには出かけてみることにした。とはいえ、まったく理由がなければどうしようもない。恐らく、部屋を出て、マンションの一階まで降り、出口のあたりで途方にくれて立ち尽くしてしまうだろう。だからなにかしらの動機や目的は必要である。出かけることを自分に納得させるだけの必然とはならないような、ちょっとした動機や目的がいい。