蟻地獄の系譜

 この時のことはどう書いたらいいかわからない。どこから初めて、どこで終わり、どのように語るべきなのか、まったくわからない。何度も書きかけて中途であきらめてしまった。タイトルも思いつかない。だが、それはどうしても語らねばならないことだ。そんな気がする。
 実はこれを書いているのは二日過ぎた21日である。その意味で日記とは呼べないのかもしれない。書きあぐねている間にこの日になってしまった。その間にとりたてて意味のないことをいくつか書いてもいる。だが、このことだけはまだ、語る言葉を探し当てていない。まだ、わたしはその中にいるということなのだろう。そのすり鉢の中心にぽっかりと底深く開いた穴は、確かに19日の、それも深夜にあったが、今現在においても、まだわたしは蟻地獄のようなそのすり鉢のどこかの裾野にいるのだろう。もう何日か、何週か、あるいは何ヶ月かが経ち、そのすり鉢から完全に離れてしまった時には、あるいは言葉も見つかるのかもしれない。おそらくその時には、また別の蟻地獄に飲まれていようが、それはまったく別のことなのだ。再起的にわたしのもとを訪れるこうした地獄は、中世から後年のヨーロッパ人たちがあらゆる災厄の権化として情熱的にしらみを潰すように連ねていった悪魔の人名録のように、それぞれがまったく違うのだ。一つ一つが悪魔として同じ枠にくくられていようとも、それぞれ名前も、色も、においも、形も、味も、服も、足の数も、全てが異なっており一つとして同じ悪魔は訪れない。今回のことも、それを離れてしまえば、たとえその時他の悪魔にさいなまれていようとも、きわめて離れた立場から冷静に語ることもできるだろう。
 だが、どれだけ言葉に困ろうとも、わたしは今それを書かねばならない。その地獄の内にまだある時に語られることがどうしても必要なのだ。それがどれだけ辛いことであっても、今は語りようのないことであっても、その地獄に縛られている内に語らなければならない。支離滅裂になるだろう、論理的な脈絡どころか、時間的な前後のつながりすらわからないものになるだろう、それでもわたしはどこからか語りはじめなければならない。
 しようもないことばかり随分と書いてしまった。その困難ばかり並べていてもいつまで経っても話は前に進まない。筋の通らないことになるかもしれないが、ともかく何かを連ねていこう。箇条書きだっていい。