200℃の肌色

 関西電力美浜原発の事故について、ようやく報道が落ち着いてきたようだ。一つにはオリンピックが始り、そちらの方に世間の関心が移ったということもあるのだろう。だがわたしにはオリンピックなどよりも、こちらの方がよほど面白い出来事だった。
 事故直後の速報から、関西電力社長と三十かそこらで死んだ被害者の父親との長々しいやり取りまで色々とニュースを見た。だが残念な事に事故の具体的な様子を教えてくれるものはほとんどなかった。わたしが一番興味があったのは、200℃の水蒸気で炙られた人間がどうなったかなのである。
 その父親が息子の棺桶にまで社長を引っ張って、この火傷したひどい顔を見てくれと言ったときにも、社長の目には映っているはずの被害者の顔はテレビカメラには映らなかった。ひと目でも見てみたかったのだが、さすがにTVでは放映できなかったのだろう。
 報道された情報から考えてみるに、破裂したパイプから漏れ出た200℃の水蒸気が、点検に来ていた人々に突然、あびせかかったのである。想像するだにぞくぞくする。死ぬ間際、自分を襲いに来る水蒸気はどのように見えたのだろうか。200℃であるなら、きっと空気と変わらずほぼ透明である。一部周囲の大気とまざり、やや冷えて曇っている所もあろうが、大体においては無色透明であっただろう。目に見えない空気に襲われるとはどんな感覚なのだろう。起こったことは高温のスチームオーブンと同じである。ほぼ一瞬で身体は蒸し上げられただろう。ほとんど音さえ立てなかったに違いない。熱した油に直接落とした天麩羅種のように一呼吸で全身が固まったのだろう。ものの数秒ももたないだろうが、だがその瞬間はまだ生きてはいただろう。五感は全滅していただろう。目は白く濁り何も見えず、鼻や舌の粘膜は凝固し、耳も恐らく破裂の衝撃で駄目になっていたに違いない。もはや何も見えず何も感じられない世界で、全身を茹で上げられた苦痛だけが支配しているのである。肌を焼かれる傷みは凄まじいだろう。痛覚は心臓が止まるよりも先に焼ききれただろう。呼吸をしようとしてもただれた粘膜が剥がれ落ちて気道をふさぎ、肺そのものも蒸気に焼かれてボロボロでひょっとしたら穴さえ開いていたかもしれない。声もあげることすらできない、完全に外界から隔絶した世界の中でほんの数秒の断末魔を味わうのである。あまりの苦しみにもだえようとするが、蒸し上げられた身体はいうことをきかなかっただろう。筋肉は蒸し鳥の肉と同じようなもので、全身の力でもがこうとしても、ほとんど二三歩いざリ歩いたようでしかなかっただろう。心臓が止まるまでのほんの僅かな間、外の世界から完全に遮断された中で、精神は何を感じたのだろう。そしてまた、その断末魔をやや離れたところから目にしてる人にはまさに凄まじい見物であったであろう。一瞬で、ほとんど音すら立てずに全身が真っ白に茹で上げられ、彼らは叫びすら上げることなく、(もしも熱風に吹き飛ばされていないなら)全身を焼き固められて倒れる事もなく、蒸し鳥の匂いを立てる肉色の立像と化す。熱風の中ほとんど見入られたようにその肉の塊を凝視しつづけるだろう。白く曇った、音のない世界に立ちすくむ人の形のもの。その霧の中を像はわずか数歩だけ歩こうとする。白い世界に固定された身体に力を入れた衝撃で、ただれた皮膚が剥がれて落ちる。べちゃり、何かの潰れるような。白い静寂の中で初めて音がする。見るものもまた、自分が世界から隔絶されていたことに、その時やっと気がつくのだろう。