ライオス訪問

 昼に父の入っている市民病院に向かう。病院は人が多い。お盆なので医者は見かけない。看護婦も数は少ないようだ。見舞い客と入院患者が大勢を占めているのだろう。入院患者はすぐそれとわかる。だが、見舞いの人々はただの客なのか入院患者なのか見分けがほとんどつかないのが多い。年寄りが多いせいだろう。年寄りと病人は汚らしい。
 父の病状は、想像していたよりも、少なくとも外面的にはよい様子。足を引きずりながらだが、病室をかろうじて歩き回る事ができる。声はのどを潰してかすれたようなものしか出ない。ろれつも回っていない。誰に対しても怒鳴りちらして回ったばちが当たったのだとすればいい気味だ。見た限りではまだ呆けはない。
 すぐに病院食が運ばれてくる。朝からろくに食べていないのでこちらも腹が減る。ご飯、白身魚のフライ(わずかにケチャップがのっている)、野菜少々。汁の代わりに小さなレシートに「+とろみ」と書いてある。脳梗塞の影響でものをよく飲みこめないために、汁ものにはむせないようにとろみをつけてあるらしい。別調理で後から持ってくるはずだったのだろう、だが、結局忘れられたのか汁は届かなかった。自分で食器を使いものを食べる事はできる。病院食が質素で量も少ないと文句を言う。味も何も分からないくせに刺身とか寿司とかステーキとか、そうしたものばかり食べつづけてきたからだろう。わたしが幼い頃から、父は常に高カロリーで贅沢なものばかりを食べつづけてきた。昭和十年生まれでろくに食べるものもなく育ったことがそうさせているのだろうか。そういう豪奢で贅沢なものが美味しいものなのだと、小さい頃から教えられたがどれもこれもわたしの口にはあわなかった。それも当然だ、この男は脂があればなんでもよかったのである。味なんかまるで分かっていない、肉は脂身ばかりをその上にバターまで乗せて食べ、寿司を食うならトロばかり。どこの田舎ものだと罵りたくなるような趣味の悪さである。大体両親ともに味覚や料理は論外にセンスが悪かった。長野出身の母は野菜を好むが何であっても腰がなくなるまでクタクタに茹でないと気が済まない。小学生の頃までわたしは好き嫌いが無数にあったが、完全にこの両親のせいである。野菜は全て大嫌いだった。肉も魚もまずいものだと思っていた。好きなものはやっことか、つけものなどのほとんど親が手を加える余地のないものばかりであった。まずく料理されたものしか食べさせられていなかったのだから当たり前である。親が料理が下手だと子供は好き嫌いが増えるのではないか。少しはものがわかるようになると、自分の分は全て自分で作るか外食するようになった。人の家で食事をお呼ばれした時などに、自分の家の料理がいかに論外であるかに気がついたのだろう。それまでは、たまに外食などをすると、さすがに料理人の作るものはどれもおいしいなあと思っていたが、単に普段食べさせられていたものが、人に食わせるにも値しないような残飯だったというだけである。自分で調理をするようになって好き嫌いもごく一部を除いてまったくなくなった。今でもこうして実家に帰っている時も、何があっても両親の作った料理は食べない。
 そんな父なのだから、カロリー、量ともに控えめの病院食で満足できないのは当然だろう。揚げ物だったが見たところ油分はかなり抑えられている。病院食ということでロクなものではあるまいと思っていたのだが、匂いをかいだ限りでは、そこそこ味のほうも食べられるものに仕上がっていそうだ。もっとも薄味基調のこの食事にこいつが満足するはずはない。マヨネーズでもかかっていたら別なのだろうが(父は揚げ物には、それと同じくらいの体積のマヨネーズを常にかける)。その他にも色々不満があるのだろう、さっさと退院させろとせがむ。リハビリさせられるのをいやがり、医者とも喧嘩したそうだ。もう歩けるのだからリハビリはいらない、と言いたげだ。歩けるといっても、せいぜいベッドから置きあがり、パイプ椅子を広げたらなくなってしまうような病室の狭いスペースをよろよろと赤ん坊がはいずるのと同じスピードでいざり歩くだけである。お前いいかげんにしろよ、さっさと死んでくれ、と言いそうになる。その身体で最後まで一人でなんでもやり続け、出来なくなったらそこでのたれ死ぬと言うならば、お前の好きにするがいい。だがお前が求めているのはそういうことではないだろう。だいたい実家は小さな山の上にある。病気になる前からも、自動車がなければお前は歩いて降りることさえしなかったではないか。その身体で運転できるわけもない、歩いて山を降りる気もどうせないだろう。しかしそこを降りなければ、お前の望むようなご馳走はおろか、ただの食事ですらもできないのだ。誰かに運ばせるつもりなのか。だいたい家のなかですら、ろくに歩けはしないだろう。段差どころか階段まであるのだぞ。自分で作った家なのだからそれに文句は言わせない。24時間、人の手を借りないと生活もできない身になって、なおまだ自分のわがままを通そうと言うのか。自分で稼いだ金と、自分自身の肉体で、はいずってでも行くというなら、お前の好きな贅沢な食事やどこかの賭場や雀荘であれ、知らないとでも思っているのか七十にもなってまだ通う風俗にでも、好きに行けばいいだろう。だがお前は病気を盾に、母やわたしや本当に親切心からだけで毎日毎日病室に通い来てくれているいとこの手までわずらわせるつもりなのだろう。わたしならば自ら死ねる今のうちに自分で自分の生涯を解決するだろうか、あるいはお前のように我欲がまされば誰の手助けも借りず誰にも何も言わずに這いつくばってでも街に行くだろうか。その二つの選択肢のどちらかを自分が取れると信じたい。だが、これはわたしのことだ、この奇妙な(そしてやはり独りよがりな)二者択一を他人にせまることだけはしまい。これはわたしだけがそう信じ、実行すればよいことだ。それが正しいなどとは断じて言うまい。しかしそれでも、この二者択一を選ぶ気もなく、人の手を借りずに生活できない立場であるなら、せめてその手を貸してくれている人々に申し訳ないくらいには思わないのか、せめて少しでも彼らの手をわずらわせることを自分の努力やわがままを抑える事で減らそうとは思わないのか。