壁を崩す、再生産への恐怖

 もう一度、始めから語りなおそう。その方が適切であるだろう。


 読書会が終わった後、居残っていた四人で研究室から程近い学食へ行く。
 確か四人とも飲みものを頼む。朝から何も食べていなかったため(わたしはほぼ毎日、朝から何も食べていない)、わたしだけおつまみのようなものを頼む。信じがたく不味いチーズ、生ハムでマスカルポーネを包んである。よくある料理だが、この店のはいただけない。この組み合わせの美点といえば、肉の熟成した甘ったるい匂いが立ち、しっかりと鋭い形を作る塩味のある生ハムに、みずみずしく十分に甘味とコクがあり、だがそれらがすっきりと舌の上から消えていくようなチーズをあわせることにある。肉の塩味がはっきりとした味の枠を作り、その中で肉の甘い匂いと味とがチーズの甘味と二重奏をかなでる。生ハムだけであればともすればいつまでも残ってしまうような味が、ゆるゆるとほどけて消えていくさわやかなチーズの甘味につられ、舌の上からあっさりと姿を消すから旨いのだ。
 それがこのチーズでは台無しだ。甘ったるいだけで味に瑞々しさもない、かといって一部のチーズが持つような、匂いの強い大輪の花が枯れ腐り花瓶から果てようとするときの艶やかさも感じられない(もちろん、マスカルポーネにそれを期待してもしようがないのだが)。ねちゃねちゃ粘りつくプラスチックの甘さとしつこさがあるだけである。あっさりと舌の上から消えていく潔さも持ち合わせてはいなかった。これではお話にもならない。まあ、学食に何を期待してもしようがない。


 ここまでに話したことなどはほとんどもう記憶に残っていない。それが抑圧なのかはわからない、だが少なくともこれからわたしが語らねばならないこととは、重要な関係は持っていないだろう。


 二人が帰り、残りの二人でコーヒーを飲みに喫茶店へ行く。夜が随分と更けてしまい閉店となって途中で店を変える。当初は、上に書いたように、それで帰るはずだったのだが、帰路の途中で方角を変えて、コーヒーのやたら不味い二十四時間営業の店へ。
 このように途中で店舗を移り、またその間二十分あまり歩いたりもしたが、延々と二人で色々なことを話していた、いや、色々なことを話したはずなのだが、一貫して同じことを話していたような感もある。なぜそんな印象を受けたのか? 分かりやすく題名をつけられるようなさまざまな議論の地下には、どれにも結局は共通していた、これとすぐには名指すことのできないようななにかがあったような気がするのだ。


 上のように書いたとき、ここには罠が紛れ込んでいる可能性がある。わたしはそのことを否定しない。これから述べていくことを語る上で、どこまでもつきまとうだろう罠をなんとか回避するために、わたしはここでその罠自体の存在について書いておかねばならないだろう。
 簡単に書くことはできない、けれどもここで語られている相手との間では共通に理解しあえるような「すぐには名指すことのできないようななにか」という得体の知れないものを持ち出すことによって、このように書くわたしの精神は相手との特別な関係を持つことをたくらんでいるのかもしれない。つまり、二人の間でしかわからないような何かをここで創作することで、わたしはさも彼を特別な誰かに仕立て上げようとしているのかもしれない。独りであることのできないような、わたしの弱い精神が寄生するための誰かを作り出すために、仕掛けた罠である可能性はまったく否定できないのだ。
 だが、わざわざこの罠についてここで述べておいたのはひとつの意味がある。つまり、今、実際にこの会話が行われた日から十日ほどが過ぎコンピューターに向かってこれを書いているわたし自身にだけではなく、この会談を行っていた時のわたしにも、この罠が忍び寄っている恐れがあるのだ。というのはその時話されたこと、行われたことは、この問題と深く関わることであったのだ。どうしてもこれを避けずに語ることはできないだろう。だが、わたしにできる限りの冷たさで、それを語っていこうと思う。


 この印象は話題それ自体に共通するテーマがあったということではたぶんない。恐らくそれは、何を話していた時であっても、ある極めて特殊な困惑がそこにあったということだ。銭湯で会うはずのない職場の人間とたまたま会ってしまった時にも通ずるような気まずさである。
 それは仮面の問題である。わたしのような気狂いでなくとも、普通に人は生活の場面場面で自分の仮面を使い分ける。ちょっとしたプランの責任者を任されている職場では、立場が上の者にも遠慮しないずけずけとした物言いと大胆さと統率力のある仮面をかぶり、マンションの自治会ではただ薄ら笑いを浮かべて発言を聞くだけで、会を牛耳るでっぷりとした主婦にハイそうですねと早く終わって欲しいだけの返事を返して、議事が終わった時に拍手するためだけの役割を演ずる。また家庭では自分の興味のあることにだけ異常な集中力を燃やし、好きでないことは妻が頼んでも返事もしない、だが自分がさみしい時には猫なで声で妻にすり寄っていく夫になる。これほど極端でないとはしても、誰しも覚えのあることだろう。人はみな場面ごとに与えられた、あるいは自ら選んだ役割にあわせて適切な仮面をかぶろうとする。その場面に登場する他の人々も、その演技者をその中身ではなくつけている仮面で見るものだ。俳優の方もそれを十分分かっており、一層その仮面として演技するようになる。だから家庭人の仮面をつけている時に、職場の人間と出くわすのはお互いに気まずい。互いの仮面が些少であれ揺るがされるからである。
 わたしたちが経験した困惑というのは、これよりもう少し根が深い。わたしはこの対話の中で彼の前でかぶっているべき、つまりわたしの属する研究室で与えられた役割の仮面を、維持していることができなくなったのである。各々の仮面というのはそれぞれの間の距離を測るための指標でもある。つまりわたしは彼との距離がわからなくなったのだ。


 もちろん、このことにも先に述べたような罠が紛れ込んでいたのかもしれない。彼に依存せんがためにその距離を縮めようとして、自ら仮面を揺るがしたのかもしれない。使い古された陳腐な手である、つまり、他の人には見せないわたしの内面を、きみにだけは見せてあげるよ、というわけだ。だが、そのような浅ましい(しかも芸のない)たくらみが介在していたとしても、断言するが、そこには少なくともそうせざるを得ない力学があった。わたしがその仮面をかぶり続けていることが致命傷になるような何かがあったのだ。思うに、ひとつにはそこで話されていたことのそれぞれが、わたしが今直面している問題に関わりをもつことであったからだろう。もちろん、それを研究室で演じているいつもの役割のままで、いい加減に答えたり、あるいはその話題自体を拒否したり回避することもできただろう。だがそれはここでこうしてつけている日記やその他いくつかのことと同じように、わたしにとってはそれがどれだけ辛くとも語らねばならないことであるのだ。またそのどれもが自分を切り刻みながらでしか語れないようなことでもある。
 だからこそ、わたしはその仮面を維持できなくなった。わたしが普段、研究室でつけているような人を遠ざけるための仮面では語り得ないようなことなのだ。他者を接近させず、また自分も他人に近づきすぎることを許さないための仮面、わたしは人と距離をとっていた方がよい――近づき過ぎるとわたしはその人との距離が分からなくなり混乱し自分を見失うだろう、そして相手に迷惑をかけたり、ひどい場合には何かの傷を負わせてしまうだろう、だからわたしは人に近づいてはならない、人を近づけてはならない、そのためのピエロの面、だがいくら滑稽に思われようとわたしにはそれが必要だったのだ。他人のためではない、自分の平穏を、他人にこのような種の迷惑をかけることを絶対に許せない自分を守るための仮面である。だがこの仮面では、自分を切り刻みながらでしか語れないようなことを、語ることは到底できない。無理にそのまま語ろうとするなら、やがて破綻し自ら崩れ落ちるだろう。実際、そのようにしてそれは起きた。


 当初わたしはそのいつもの仮面のままで彼と話していたはずだ。近頃では、正直、その演技を続けることがほとんど耐えがたい程しんどくなってきている。それでもその時は、少なくとも始めはいつものような態度をとろうとしていた。だが会話が進むうちに、自ら崩落するように、仮面が崩れ落ち始め、わたしは彼との距離が分からなくなった。
 わたしには結局のところ推測するしかないことであるが、それは彼の方でも同じだっただろう。役割の仮面で距離を測るというのは相互的なものだ。一方がそれを破棄すれば、もう一方も相手との距離がつかめなくなる。だからこそ、先に述べたような古典的で陳腐な手がそれなり有効でもあるのだ。だが、わたしがそれを崩したために彼の方からもその間隔が見えなくなったのかどうかは分からない。実際にそこで話していた時の感性を信ずるならば、そうではなかったのだろう。むしろ、彼の方でもわたしと同じように何かしらのやむにやまれぬ問題を抱えており、それと呼応するようなことを話しているうちに、彼がいつもの彼として維持していた役割が危うくなったという印象がある。二人それぞれの仮面が崩壊してゆき、それが共鳴するように互いの互いからの距離感が失われてしまったのではないだろうか。もちろん、その二人の仮面の崩れ方には、程度の差が多分にあったのであろうが。


 これはもちろん感覚的にそう思われたというだけで、何の裏付もないものである。またこのように共感的に語ろうとすることで、同じ罠にわたしが嵌まり込んでいる可能性も否定できない。
 先だって、この時の話題のそれぞれがわたしが直面している問題と何かしら関わりを持っていると述べた。このことについてここで吟味しておこう。まず、単にそれは、抱え込んでいる問題がわたしにとってあまりに大きくまた根源的であったため、どのような話を聞いても、それと関係するように思われただけだという可能性がある。次に、その非常に個人的な、つまりわたし自身にかかわるような問題に彼を引き込むために、わたしがそのような話題を誘導したということも否定されるべきではないだろう。さらに恣意を読み込むならば、彼との間にある距離を崩すために、それがどのような論題であったとしても自分の内なる問題に引き寄せてしまったのだと仮定することもできるだろう。この三者のどれも、なれる限りに客観的になったとしても今のわたしにも信じがたいしありえないことだと思う。だがどれだけ否定したくとも、あり得る自分の手管からは絶対に目をそむけないでおこう。


 はっきりとそれを意識した時には、もうその中では戻し得ないほどに互いの距離は混乱していた。結局わたしは仮面を自覚的に放棄した。もちろん、言い方はだいぶ違ったかもしれないが、そのことを相手に伝えた上でのことだったが。自分では的確な判断だっただろうと思う。
 これは素面をさらしたということではない。一般の人々のことはわからない、だが少なくとも自分自身のことだけで言えば、わたしに素面などというものは無いであろう。たとえ一人ぼっちでどこか密室にいる時でも、わたしは何かの仮面をつけていざるを得ない。ここでその仮面を放棄したということは、素顔をさらしたことにではないだろう。わたしには素顔などもともと無いのだ。だが、少なくとも研究室で演じている役割よりは、さらに言えば、普段どのような人と接する時よりも、素顔により近いものになったのだろうが。頭全体を覆うような分厚い鉄仮面を捨てて、落書きのような紙のお面に変えたようなものである。要するに、新しい仮面に付け替えたのだ。
 この新しい仮面によって混乱していた彼との距離は一応の安定はしたのだろう。お互いそれに慣れるのに多少の時間はかかったが。的確な判断であったと思う、その時はっきりと考えたわけではないが、今想定するととりうる手段は三つしかなかった。つまり、話を打ち切り互いを守るか、そのまま崩れるに任せて互いの距離が消滅するか、そしてこのように新たな仮面をかぶり新たな距離を設定しなおすか。彼にとってどうだったかはわからないが、わたしにとってはそれは語られなければならない話で、それを切り上げるという手段はとりようがなかった。かといって混乱を放置してそのまま彼に依存するようなことになれば、それは許されることではない。だからそこで新しい役割と距離で相手と接しなおすことにした。
 そのまま放っておくことを思えばマシだっただろうが、とはいえ、これは安全な手段ではない。日ごろ頑なに他者を拒絶し自分を守っているのから比較して、わたしにも相手にもはるかに危険なことであるだろう。この薄い仮面ではほとんど本心を隠すことはできない。彼に対してだけのことではなく、もちろんそれを演ずるわたし自身からも。くだらないものでしかないのだが、それでもわたしの内奥を見せてしまうのは、わたし自身も蝕むが、彼に相当の傷を負わせたであろう。また相手の側からも同じようなことが言える。彼の内面もそれまで以上にありのままに、わたしにも彼にも伝わってしまった。距離が縮まるとはそういうことだ。


 もちろんこのことから、新たに設定された短い距離が、まるで強力な磁石を近づけすぎてしまったように、崩壊してしまうこともありうるだろう。仮面をかぶりなおした時に、そのことは十分注意した。慎重に回避したつもりだが、それは本当に予防できたのだろうか、わからない。


 学校のこと、そしてわれわれの専門とは直接には関係のない学問のこと、われわれが属する研究室のこと、人間関係、女性関係のこと、それぞれの家庭、家族、過去のこと、将来のこと、抱え込んでしまった問題のこと。とりとめも無く色々なことを話したはずだ。
 距離が壊れ始めてしまってからは、特にそれぞれが直面している問題について話していた。わたしには彼が内在させている困難がおぼろげながらも形のあるものとして見えた。互いの防衛的な仮面が崩れて距離が縮まり、その結果としてそれを見抜くことができたのか、あるいはそうした問題が見えてしまったからこそ、本来ならば保つべき距離が崩落したのか、どちらなのかはわからない。彼の抱え込んでいるものは、わたしのものとも共鳴するところがあったのは確かだろう。
 そのことに水を向けると、その時に彼が自覚していたことについてはっきりと言明しはしなかったが、少なくとも自分が直面している困難の何らかの糸口になると思ったのだろうか、あるいは理性では知らなくていいこととも思いながら彼の内にあるやむにやまれぬものが聞くことを抑えられなかったのか、何が見えているかを言って欲しいとわたしに告げた。
 その彼の問題は、もしわたしの推察が正しいとするのならだが、わたしが抱えているものとも深くかかわることである。いや、だからこそ察することができたのだろう。もちろんあっているかどうかはまったく分からない、単なるわたしの勘違いか、あるいは先に述べたことと同じように自分のことへ引き寄せようとしているだけかもしれないのである。
 どちらにせよその時のわたしには、それは今の彼には知らずともよいことのように思われた。そう判断することの傲慢は重々に分かっている、だがまだ彼はそれを知らずともなんとかやっていけるところに立っていたと今でも思う。わたしが判定してよいことではないが、それと立ち向かわないではおられないところまでは、彼はまだ追い込まれていないと感じたのだ。少なくともわたしが見たような地獄を彼はまだ知らないだろう。聞かない方がいい、知る必要もまだないことですよ、とわたしは応えた。
 このように言ったことが本当に是とされることであるのかどうか、わたしにはいまだに分からない。彼はまだ知るべきでないというこの判断自体が正しかったか間違っていたかはともかくとして、もちろんそれが適切であったという自信があって言っているのだが、それは置いておくとして、その裁定をわたしがしたというのはやはり許されることではないだろう。道義や礼儀の問題として、その判断は本人しか行ってはならないものである。
 さらに言えば、中心的な理由とは言えはしないが、この裏にはわたしの二つの欺瞞があったかもしれないのだ。一つには、わたしがわたし自身を特別視したいためではないかという疑い。わたしが見たような地獄を彼はまだ知らないだろう、という言い方にはこの虚栄心が見えないこともないだろう。そしてもう一つには、それを語ることが恐ろしかったということが考えられるだろう。確かに、それを語ろうとした時に、わたしは喫茶店の椅子から自分の身体が浮き上がるような感覚とともに、冷たい恐怖心を感じたのだ。なぜなのかは分からない、あるいは過去、まだそのようなことに無頓着だった幼児の頃に、他人の心に見えた弱みをずけずけと指摘して、酷い目にあわされてきたことからの学習であったかもしれない。いや、もっとわたし自身にかかわるような凍るような恐怖があったのだ、学習というのもあるかもしれないがそれ以上に、そうだ、彼の中に見えたもの、そこで求められたものを言うことは、わたし自身が抱えているものを言い当てること、言語化することに他ならなかったからであろう。
 知れば必ず後悔しますよ、と言ったのだが、なおも彼は尋ねるのだった。わたしは仕方なく、さわりだけですよ、と念を押し、ある程度見えていた像からいくぶんピントをぼかして、男性性に強烈なコンプレックスがあるようですね、と告げた。彼は相当の衝撃を受けているようだった。わたしの予想した以上のものだった。認めるのが辛い様子ではあったが、その通りだ、というようなことを言っていた。正直、それほどの反応をされるとは思っていなかった。というより、あまり痛くない程度までピントをぼかしたつもりであった。だが甘かったのかもしれない。ただ一つ言い訳をさせてもらうなら、このことについては、ここまで距離を壊さなくともかなり以前から分かっていたことである。わたしでなくとも、彼とある程度話したりしたことのある人ならば、誰しも気づいているのではないか。
 結局その場では、求められはしたが、それ以上のことは何も語らなかった。述べたように、わたしの弱さがそれを語らせなかったのだろう。この程度の覚悟などとうにできていたはずであるのに、実際に自分が傷つき、そして他人を傷つける場面になって、恐れをなしたのであろうか。だとしたら情けないことだろう。わたしはそこで語られなかったことを語るつもりでこの話全体を書き始めた。だが、まだ迷いはある。この話の相手は、かつてどこかで述べていたが、ここのアドレスを教えてある二人のうちの片方である。きっとこれも見るだろう。だがそれを認識しつつもわたしは語ろうと思う。ほんのさわりだけではあったが、それを告げたことによって、彼がもう戻れないところへと踏み出させてしまった可能性もあるだろう。もしもそうであるならば、わたしの責任としてその先をどうせ彼に告げねばならぬだろう。そうでなくとも、わたし自身のためだけに、それは語られねばならない。不特定の誰かだけでなく実際にわたしがその血肉を識っているような誰を踏みにじっても自分が語らねばならぬことを書くという覚悟はしていたはずだ。わたしはとうに人間ではない。
 もちろん、わたしが見たと思ったものが、ただの勘違いであるかもしれないのだが。だがそれならばそれとして、わたし自身だけのこととしても、語っておかねばならぬのだ。
 わたし自身、彼が抱いているような男性性へのコンプレックスを持っている。自分の場合、その源は大きく二つあるのだが、その時に見えていたものはその内の片方とより縁のあるものだろう。だからそちらの方だけをなるべく今は語ろうと思う。語るうちに避けられずもう一方にも触れるかもしれない、片方のみで語ることができることなのかどうかはわからない。それにもちろん、もう一方の方にあるような問題をも、彼もまた抱えているかもしれない。だがその時に前景としてわたしに見えたのは、これから語られるようなことの方に大きく関係することだった。
 あの時、彼に言葉として言ったのは、男性性へのコンプレックスということだが、単純に文字としてこれを見たときに随分と広い範囲を含んでいる。実際何であるのかは、まったく分からないであろう。色々想像することも可能だ。少しずつはっきりとさせよう、まずこの場合のコンプレックスだが、しばしば劣等感という語があてられる。だが、わたしの場合は、そして恐らく彼にしても、劣等感というべきものではない。それが無いわけではないのだが、第一にはこないだろう。むしろ不安感や恐怖感という方が近い。劣等感はその後に来る。
 彼が抱いているものは、自分が父親になることへの不安感である。これは二つのことからなる。一つには能力的な問題、自分が父親になれるかどうかという不安である。例えば経済的なものもあろうが、それよりも生物的なことの方がより強い。ありていに言えば、男性として子をつくれるか、という不安である。もう一つは地位の問題、つまり自分が父親という地位につくことへの拒絶感である。恐らく今の立場への執着もあるのだろう、だが守りたい現状の地位というのが何であるのかまでは正直見えはしなかった。想定できるものとしては、息子であるとか、学生であるとか、夫であるとかがありうるだろう。
 この二つのことなのだが、喫茶店で話した時には、より前者の方が前景にあるように思われた。それは後者が弱いという意味ではない、単に前者の方への拘泥がその時は強いだろうということである。恐らく揺れ動きもあるだろう。さらに言うなら、この二種の不安は根底でつながっていることが予想できる。これはあくまで予想でしかない、もっと正確に言えば、わたしの場合はそうであるので彼もおそらくそうだろうというだけのことだ。
 わたし自身のことに絡めて、もう少し具体的に語ってみよう。わたしにもまた、同様のコンプレックスがある。このことには自分の父親のことが関わっているだろう、以前書いたことがあるので書きはしないが、わたしの父は大人として最低の人間である。そんなことは何の言い訳にもなりはしないが(これは同時に、わたしがこうなってしまったことを、この両親のせいとはしまいという意味でもあるが)、父が人間の屑に成り果てたのには、その生い立ちが多少は関係するだろう。彼は昭和十年、まだ植民地だった頃の北朝鮮に、日本人技師の祖父の六人目、末っ子として生まれた。詳しくは知らないのだが祖母は後妻だったそうである。この男がまだ少年の頃に戦争に負け、祖父も死に、残された一家は逃げるようにして本土にある祖父の実家へ帰った。幾人かは成人して独立してはいたそうだが、戦後の貧困の中六人もの兄弟を抱えておけるはずはない。その家で後妻だった祖母は立場が非常に弱かったのだろう、前妻の子どもを残し、父ともう一人の自分の子を養子に出した。想像するに、後継ぎのない裕福な家にもらわれていったというのではなく、むしろ食い扶持と引き換えに労働力として子どもを欲しいという家だったのだろう。父はその家と折り合いがあわず、何度も家出し、ついには養子先を飛び出してしまった。とはいえ元の家に戻れるはずもない、そのまま大阪に流れて博徒かヒモかという暮らしになった。
 ここまでのことはほとんど面識のない父方の親戚から聞かされたり、そうした親戚、父とは母親の違う父の姉などからわたしの母が聞きわたしに話したことをもとに、組み立てなおしたものである。父はこうした話を一切しようとはしなかった。伝聞の伝聞であったりするので正確さは保障できないが、いろいろ総合して考えてみるに、そうは外れていないのではないか。この父が七歳年下の母と結婚しその十数年目、父が四十の時にわたしが産まれたことになる。いろいろなところから漏れ聞いた父の悪行の話とあわせると、年代的に結婚後も相当であったことがわかる。
 そんな生い立ちをしたせいなのだろう、家族というものに対する父の執着は普通には考えられないようなものであった。自分自身はろくに家族というものを知らない癖に、一家を持っているということにだけは病的にこだわるのである。たまったものではない、家庭での父親としての役割や振る舞い、義務といったものをまったく知らずまた自分が果たしもしないくせに、わたしや母には彼の「家族」であることを暴力的に強要するのだ。
 そしてこのことはそのまま同時に、わたし自身が家庭というものにおいて、父としてどう振る舞うべきかを知らないということを意味している。二種の不安の後者の方は、まずはこれに起因していると考えることができるだろう。モデルとしてのなるべき像を明確に持ってもいない父親に自分が果たしてなれるかどうかの不安である。そしてもしかするとわたし自身の父のように、自分が家族を壊滅させてしまうような父親になってしまうかもしれないことへの恐怖である。正直、その可能性を考えると、わたしなどは一生家族を持とうとしてはならないのではないかとさえ思われてしまう。血筋に刻まれた恐怖である。この血の呪いはもうすこし根深いことなのだが、それは後に回した方が語りやすいだろう。
 喫茶店で話した相手についても、もしかしたらこのことがあるのではないか。わたしの場合のように非常に分かりやすい形で現れていないとしても、なんらかの原因で自分が家庭における父のイメージというのが彼の中でぼやけてしまっているのではないか。これについてはあまり自信があることではない、もともと二つの不安のうちで後者ははっきりとは見えなかったのだ。だが、その時に見たその他の状況から考えて、このことが多少はあるような気もしないではない。
 後者の不安についてのもう一つの重要な要素としては、はじめに述べていたように、今現在に持っている立場を放棄することへの不安である。これはいわば去勢されることの快楽を放棄することへの不安である。ここで去勢と言う場合に、フロイトエディプス・コンプレックスを指しているのではない。むしろ逆とも思えるような現象である。もしかしたら関係があるのかもしれないのだが、門外漢のわたしにはどうせ正確な判断はつくまい。これは母親による息子の去勢を問題にしている。
 特に所有欲が強かったり、非常な依存性がありそして依存するものを自分の息子の他に持たないような母親は、時として自分の息子を去勢するのではないだろうか。もちろん物理的に去勢すると言っているのではない、中にはそういう女もいるかもしれないが、どちらかといえば例外的ではないかという気がする。またここで問題にしているのは、母親と男の子どもの関係だけで娘のことはまったく考慮に入れてない。言うまでもないことだが、このことをそのまま一般化するのはあるいは危険であるかもしれない。わたし自身の体験から語っているのだが、単にわたしの母が特殊だったということもありえるだろう。だが、率直な感覚として、このような母親は多いのではないかという気がする。
 ある種の母親は息子を自分のものにしておくために、その子の男性性を消し去ろうとするのではないだろうか。他の女に持っていかれないようにするためだ。例えば息子が年頃になってもそれにふさわしい男性らしい服装や髪型にすることを禁止したり、より露骨には同じ年頃の女の子との接触をあらゆる手段で阻止したりする。わたしの母は、これ以外にも男性的な物腰や態度や行動をとることに幼少の頃から眉をひそめ、そうした言いつけに背くと何がしかの罰を与えられた。ほとんど覚えていないが、写真で確認できる限りでは幼い頃には女の子用の服を着せられていたようである。馬鹿みたいな話だが、成長期には声変わりすら止めようとした。恐ろしいことにわたしが二十代に至っても、会えば髪型のこととかにしきりに口を出す。今でもそんな調子なのだから、幼い頃はどれほどのものであったかが分かるだろう。一方で母の前でだけはわたしに男性であることを暗に求めている。そのせいで母の中でも相当に矛盾したことになっているのだろう、特に十代の頃にはほとんど相反するようなことを命令された。要するにこうした母親は、自分の息子を他の女に取られるのがたまらないのである。母の前では男であり、それ以外の女の前では去勢されていることを求めていることに過ぎない。そして素直に彼女の所有物に甘んじるなら、物質的なものにせよ精神的なものにせよ、まだ親に依存しなければ生きていられないような幼児には、とても抗いがたい褒美を与えるのである。幸いわたしはそこまではなかったのだが、日本に多いという母子相姦がこの延長線上に起こっているのが想像できる。そこまで行き着かないにせよ、こんな母親にあたってしまった子どもは不幸だろう。どうするのだろうか、徹底的に反抗するか、あるいは言いなりになっていわゆるマザコンに成り果てるのだろうか。わたしはほとんど物心ついた頃から、前に述べたような仮面の使い分けを行う習慣があったためにこのどちらの道も通らなかった。母の目のあるところではそれなり従順なふりをして、実家の周りの社会では自分の男性性を自ら抹消し、一方でそれが届かないところで、着替えて遊んでいたのである。ひょっとすると、二十歳過ぎた頃までわたしが女の子と手をつないだこともないとでも思っていたのではあるまいか。
 だがアメとムチによって幼少の頃に刻み込まれた、所有物という地位にあることへの誘惑は相当に強いものがある。ほとんど理性などではなく、動物としての本能の部分に作用しているようだ。わたしの生涯はほとんどこれと戦い続けてきたようなものだ。だが公平に見て、いまだに脱しきれているとは言えまい。もちろん少年期のいつかから、その所有物という地位の所有される先が母親から他の誰かになっているわけだが、どちらにせよ本質的には何も変わってはいまい。このような所有されるものへの誘惑が、一人一人が独立した人間としての家族を築き、その中で父という地位を得ることへの恐怖につながっているのだろう。
 所有物への誘惑のこと以外にも、自分が男性性を発揮することへの脳裏に焼き付けられたような恐怖がある。ほとんど調教された動物のようなものだ。一時には女の子に声をかけたり誘ったりするだけでも身体がすくむようなことがあった。実際に何かする時に強烈な圧力を感じるというだけではなく、そのように調教された自分にそうしたことができるのかという不安さえ常につきまとう。そうした恐怖や不安を払拭するように、必死で女の子を追い掛け回し、馬鹿なことに溺れていたこともあった。いまだになかなか自分の方から行動を起こすことができなかったりもする。これらが去勢されているということの本質なのだ。
 まとめてしまえばこの母による去勢は、所有されることの快楽への動機づけと性的に成熟した男性であることの禁止によってなっているのだろう。所有物という役割への誘惑が、父としての役割を引き受けることへの不安として、わたしに作用しているのは述べたとおりだ。彼の場合はどうなのだろうか、やはりはっきりした形では見えはしなかった。だが、それが所有物であることなのかは分からないが、何かしらの別の役割に未練があるようであったのは確かだろう。何なのかまでは明言できるほどには判断できない。もしかしたらわたしと同じであったかも知れないし、まったく別の、彼にとっては同様に捨てることのできないでいる役割であるのかもしれない。
 さてもう一方、男性性への禁止について。わたしについては述べたように、自分が男性性を発揮するような場面、実際のセックスでなくとも、単に女の子に声をかけたりするような時、常に薄ら寒いような恐怖と身のすくみとして現れている。心の弱い人ならばインポテンツにまで発展するのではなかろうか。そしてこのことによって、実際にそうした行動や役割を演ずることへの恐怖が刷り込まれてしまっている。このことは始めに述べた二つの不安の両者に関わる問題である。つまり、家族の中で父としての性的な役割を自分が果たせるのかどうかという不安につながっていく。このように両方の要素があるものなのだが、後者についてはだいたい述べたと思うので、他のことも含めて前者についてを語っていこう。
 これを述べる上でもう一度生い立ちの話に戻るが、わたしの父はわたしなどよりはるかに強くこのコンプレックスを抱えていた。それこそどうやって子どもができるのか知りもしないような幼稚園児の頃から、わたしが本当に自分の子どもであるのかをずっと疑われ続けてきた。実際何度もその疑いを言葉に出してわたしにぶつけた。反面先に述べたように自分が子どもだった時代から憧れて手に入らなかった家族というものへ執着がある。その葛藤は凄まじいものであったのだろう、ある時はわたしを自分の血を受け継ぐものとして異常にかわいがろうとしたり、突然お前などおれの子ではないと言い捨ててみたりと目まぐるしく移り変わった。
 父のこの不安の源ははっきりしている。少精子症で本来子どものできにくい身体なのだ。結婚して十年以上子どもができず、やっとわたしを授かったのである。だがその子どもが本当に自分の子であるかまったく確信が持てないのだ。ちなみにわたしが調べて分かった範囲では、DNA鑑定まではしなかったのだが、非常に残念なことではあるが、わたしは十中八九この男の息子だろう。戸籍を調べた限りでは養子はあり得ない。依存性の強い母がどこかの男になびいたという線も考えたが、あの女の性格ならばその男の元に走って父の元には戻っていないはずである。何より親戚から聞いた話で判断するに、当時彼女はその父に大きく依存していたはずなのだ。そして認めたくないことだがわたしは父に色々と似ているのである。顔の輪郭、脚の形、なにより特異なフォルムの手。かなり珍しい遺伝形質に短指症というのがある。わたしも父も全体的に指が短く、特に小指が他の指より半分ほどの長さしか無いのだ。あるいは父の子ではないだろうと夢想していた中学生の頃、これを知った時はしばらく立ち直れないほどに絶望した。余談だが手塚治虫のマンガにほとんど同じ筋書きのものがある。
 そのことは父には教えていない、ずっと疑わせたままである。しかし自分の血を何としても残そうとする父の執着はわたしには相当異常に思われた。儒教社会の人間でなければ説明がつかないと思い、植民地時代の北朝鮮生まれということもあわせて実は韓国人なのではないかと疑ったことがある。これは大学に入ってから念入りに調査したのだが、残念ながらハズレであった(わたしは小さい頃から、なぜか韓国・朝鮮人に説明しがたい憧れがある)。祖父も祖母も完全な日本人であり、また父がその二人の実子であることはほぼ否定しようがない。
 話が逸れたが、結論としてわたしはほぼこの父の血を引いている。調べたことがないので実際に肉体的なことは分からないのだが、これはつまり父の少精子症が遺伝しているかもしれないということを意味してもいる。つまりわたしは父親として子どもを作るという機能があるいは無いかもしれないのだ。他方でもしかするとわたしがこの男の息子でないとするなら、わたしはどこの誰とも知れない人間ということになる(そうでなくとも既にわたしはどこの誰でもないようなものだが)。誰でもない人間が父になり、また誰でもない人間を生み出すわけにはいかないだろう。先に述べたような血の呪いとはこうしたことをも指している。これらのことと、去勢によって刷り込まれた男性性を発揮することへの恐怖が、わたしにとっては前者の不安の源であろう。ともに自分が男として子どもを作る能力や資格がないかもしれないという恐れである。この恐怖に打ち勝たなければ、家庭の中で父としての役割を引き受けるという選択を自ら行うことはできないだろう。
 そして喫茶店で対話した時に、彼の中に一番に感じたのはこの種のことであった。もちろん始めから完全に間違っているかもしれないし、わたしの勘違いであるかもしれない。だがもしもわたしが見たものが正しいとするのならばであるが、彼の抱えている問題の一つの要素として、子どもを作る能力に対する不安があるのかもしれない。その不安が具体的に何からのものなのかはわたしには分からない。例えばわたしの父のような少精子症であるとかの具体的にはっきりとした原因があることかもしれないし、あるいはわたしが日々闘争しているような、植え付けられてしまった恐怖(それを植え付けた原因はさまざまにありうるだろうが)によるものなのかもしれない。そこまではわたしには分からなかった、わたしに見えたことといえば、この方面にかなり強い不安や恐怖、劣等感があるだろうということだけである。もちろん、何度も書いたように、それ自体まったく的外れであるかもしれない。ともかくどのことにしても、それ以前に個としての問題を多分に抱えているのだろうが。