夢の透明

 大浴場というほどのものではないが、家庭用とは言えないようなサイズの大きな風呂に入る。なぜか実家で母が経営しているブティックの、フィッティングの鏡のあるはずのところが扉になっていて、そこをくぐるとその店自体とほぼ同じ大きさか、あるいはやや大きいくらいの浴室に出る。誰もいない、わたし一人でそこに入る。
 こうして書きながら思い返してみると、母の店の間取りは(最近行っていないのであまり正確ではないが)今はフィッティングはこの夢に見た場所にはないのではないか。確か改装して位置が多少ずれているはずである。ということは、わたしの意識の中にある母の店はわたしが中学生か高校生だったころのものということになる。
 ところでフィッティングとは一般に通用する名詞なのだろうか? もっと違う正しい言い方があったような気がするが思い出せない。幼少の頃からこの名で教えられていた。衣料品店などでお客が試着するための、鏡のある小部屋のことを言っている。
 フィッティングを通っていくのだから、当然、ほぼ裸で店内を通ることになる。女性用の下着や洋品、化粧品などを主に扱う店舗であるのに、誰にも気にもされない。裸の男がタオル一枚持ってそんな中を歩いていたら結構たいへんなことになると思うのだが。むしろこちらの方が気にしているくらいである。店内には年配の客が一人と、他数名お客がいたはずだ。母がいたかどうかは覚えていない。見なかったが、どこかにいたような気がする。
 その客たちに混じって、なぜかわたしが現在属している研究室の教授がいる。この人が夢に出てくるのは覚えている限り初めてのことだろう。学生を含めて大学の関係者が夢に出てくることはほとんどない。このほかに一度あっただけである。もちろん、わたしが忘れてしまっているだけなのかもしれないが。この人がブティックにたたずんでいるというのも相当違和感があるのだが、それにしても一切誰も気にしない。わたしもその時は背景のような店内に、彼がいるということをかすかに認識しただけで、向こうが気づいていないようなので挨拶もせず、そのままフィッテイングに向かい浴室に入った。
 述べたように浴室はやたらに広く、その半分ほどのスペースが湯舟である。長年ほったらかしにされていたのだろう、蜘蛛の巣がそこらに張っている。ろくに掃除されていないが、割に水だけはきれいである。蜘蛛の巣には、その長い糸一面に干からびた蚊の屍骸が乗っている。普通の蚊よりはやや大きめだがありえない大きさというほどではない。お腹いっぱいに人の血を吸えばこのくらいの大きさにはなるのではないか。それが余すところなく絹糸一面にへばりつき、さらにその上から嫌に透明感のある水滴が数珠玉のようにおおっている。水晶に閉じ込められた虫のようなありさまだ。
 浴室には湯船の他になぜか便器が置かれている。アパートのユニットバスであるならともかく、こういう大浴場には通常ありえないのではないかと思うのだが、なぜかあるのだから仕方がない。洋式の男性用の小の便器であったはずだ。河原の公衆便所にあるような、黄ばんだろくに掃除もされてないような汚い便器である。
 そしてその便器をほとんど沈めてしまうくらいにまで、浴室一面に水が張られている。なぜ湯舟にだけ入れないのか不思議なのだが、とにかく一面プールのようになっている。夢の中では湯舟からあふれたものかと思っていたが、今思い出すと湯舟に普通につかっていたのであふれたわけではないようだ。
 このプールの中に入るということは、汚い便器と一緒に風呂に入るのと同じである。夢の中ですらそれには不快感を覚えたが、水があまりに透明なので、またいくら嫌でもそうしなければしょうがないことのような気もして、仕方なく湯舟につかる。
 やや冷たく感じるぬるめの風呂だが、寒いというほどではない。この程度の温度なら湯気がかかっていても不思議はないのだが、まったく霧もかかっておらず浴室は透明感がある。張られている水自体がそうなのだが、ほとんどそこになにもないかのような透明感がある。湯舟に身体をつけて、その縁に頭を乗せ、半ば眠るような姿勢になる。湯舟は浅い。目の前に蜘蛛の糸が橋をかけている。人柱にされたような、すすけたような黒色が目立つ蚊の屍骸がその橋をわたる。それら全てを包むような、まるで何もないかのように透明な水晶。わたしはこの姿勢のまま眠り込みそうになる。
 このあたりで目覚めたはずだ。わたしは夢の中とまったく同じ姿勢のまま、ベッドに横たわっていた。