煙になるための扉

 ほんの一瞬、煙になった。
 いつものように、あまりその自覚もなくそれこそただ習慣的に、煙草を取り出して火を点け、それを吸っていた。ぼんやりと、窓から入る光と部屋の明かりがつりあうほどの光のなかで、短い煙草を口にくわえて、それこそ呼吸器のように、ゆるやかに大気を吸いゆっくりと煙を吐く。眼鏡をはずした、ほとんど何も見えていない視界に、すぐわたしの目の前に実体のない、もやのような煙が広がる。煙はすぐに窒素に溶ける。そしてまたすぐ煙が来る。この繰り返しをまったく意識もせず、何も考えずに眺めていた。するとふと煙になった。
 煙であることの驚きはわたしにはなかった。ただ自分がこのさんさんと明るい大気に溶けて消えていくという感覚と、ぼんやりと流れていく触覚が心地よい。天井も部屋も椅子も、何もかもそこに確かにあるのだが、それらすべてが核心を失って、煙となったわたしの一部のように溶け込んでいく。その感覚はあまりに心地よい。だが、ああ、これは幻視なのだなと冷徹な自覚が、浮かんだわたしの足元に鉄の重さで潜んでいる、すぐにこの体験は終わった。
 もしもわたしがまだ無垢であったならばこの幻覚の快感に溺れることもできただろう、あるいはもしもわたしに宗教家の熱情があったならば、幻想の中に神秘の意味を読み取れただろう。わたしは無垢ではない、わたしはとうに神仏には見放されている、ただわたしにできるのはその幻視を幻視として語り理解することだけなのだ。日常の空間にまれに潜む紙のように薄っぺらな扉から、たまたま迷い込めた僥倖として、わたしには書くほかはない。