鉛の日

 朝まで何も手につかなかった。つかないままただ徹夜だけしてしまった。
 二日か三日に一日ほどそんな日がある。気分が塞いだり滅入るのは誰しもあることで、だがそれだけのことで重たくなる手足が疎ましい。疲れているわけでも、動けないわけでもないはずなのに鉛がわたしに寄りかかる。何をするか、何をしなくてはいけないかは決めておいたはずだ。何も考えずそれだけをすればよいはずなのだ。わたしの意志などいらないはずだ。何も考えなくてもいいはずだ。ただ行こうとすれば勝手に足が動くように、手を動かそうとしなくとも、自然に動いてくれるはずなのだ。けれども手は立ち止まる。紙挟みを開こうと、一度はかけたはずの指が不可視の壁に突き当たる。そして弱々しく後ずさる。それだけのことを幾度繰り返したのだろうか。足の先を柔らかいクッションの下に突っ込んだ姿勢で、クローゼットのぺらぺらな扉に背を投げて、空間にひじを直角に突き出す。そのままどれだけ固まっていたのだろう、何も見ないまま、意味なく金づちや軍手や巻尺の入ったプラスチックのケースを開き、釘の頭を打ち据えるその重さの冷たさと引力を手の平に遊ばせる。蝋の青さの手の平に、その尖った後頭部で赤色の斑点を作る。十余りも左手に染みをつけると木の柄を先に差し込んでケースに戻す。手の平はわずかにかさついて乾いている。黄色いプラスチックのてらてらした瑞々しさとは裏腹に。散らばった反故紙の裏をメモにして、何かを書きつけようとしてみる。角は折れ曲がり、数本の皺がその全体に入っている。皺を手で払おうとする。ボールペンを取る。ほんの小指の爪ほどインクが残ったボールペンだった。何かを書こうとする。先端が紙に触れて黒い粘つく小さな涙滴模様を作る。だが何を書けばよいのだろう。今日の日付、わたしの名前、そんな形式的なことですら、文字にすることもできずにいた。涙滴だけが五粒、六粒と増えていく。もはやそれに苛立ちすらも覚えることができないでいた。カーペットは指の腹をかさかさと押し返していた。色のない引力が全てを後ろに引っ張っていく。何もかもが後ろに流れていく。朝の太陽は曇りガラスの窓枠の中、黄色く張り付いていた。太陽風はからっぽの重さでわたしを過去に押し流していった。