かつてわたしの母だった人へ

 三月の頭ごろだからもう二ヶ月と半月も前になる、わたしは両親と会うために高校生までを暮らした名古屋市に帰った。正月も京都で過ごしたので、去年の夏以来の帰省だった。一週間ほど滞在したと思う。わたしの実家のある守山区というところは、市内とはいえ北東のはずれで、まだ十代の前半だった頃までは都市部にも飲み込まれることなく付近に田んぼや畑、雑木林や細い用水路が点在し、この季節には草を生やした土独特の匂いを漂わせていた。ベッドタウンとして開拓され始めた時期であり、それに伴い田舎町の中心地も結構な速度で外へ外へと移動していった。それまでは人通りも多く小さな町ながら栄えた通りもいつしかさびれ、代わりにひとつ隣の駅前が繁盛するようになった。市の中心から郊外へと人々の集まる場所は移っていった。もともとトヨタのお膝元の車社会である。郊外化のスピードは速かった。わたしが暮らした町以外でも、そうした繁栄と衰退の波紋が市を中心に円を描いて外に広がっていったのではないだろうか。
 わたしはこの名古屋という都市をどうしても好きになれない。風景や町の様子が嫌いなのではない。この土地に暮らす人々の、独特の性格、ある種の無遠慮な押し付けがましさ、たまらない野暮ったさ、そしてそうしたものに対するまったくの自覚のなさが、吐気を催させるほどに嫌いなのだ。たぶん自己嫌悪なのだろう。
 そうした名古屋の土着の人々を、わたしの母はよく笑いものにした。何を着せても何をさせても田舎臭い。彼女はその町で洋品店を営んでいた。下着や洋服、化粧品やアクセサリーなど、女性の外観を作るためのさまざまな品物を扱っていた。お得意様が帰った後に、あんな下品な着こなしをされちゃあ服が可哀想ね、と下品な笑顔を作っていた。彼女は長野の田舎の出自だった。そして都会的でないすべての趣味を憎んでいた。口ぶりの抑揚や取り出す眼鏡、扉の開け方までをあげつらい、田舎菓子をぶら下げて洋品店に来るなんてどういうセンスかしらね、と頂いたおはぎを大口に放り込みながら皮肉を言って、ちり紙で餡を拭うと、入念な手つきで細いくちびるを描き直した。
 わたしは母親が嫌いだった。大学に入り実家を離れて京都で暮らすようになると、なお嫌いになった。形のよいくちびるのねじくれた細さも人の話を聞かない耳も、彼女に都合のよいものしか映ろうとしない緑灰色の目も憎んでいた。彼女は日本人離れした、研ぎ石のような沈んだ色の美しい瞳をしていた。目つきは死体をあさる鳥に似ていた。感情を隠しながら、隠していることを分からせるような目の色だった。
 夕食を終え片付けを済ませた後のダイニングで少し話をした。相変らず彼女は見たいものにしか向けられない目でどこかを見ていた。それから衰えた髪を静かに揺らしてわたしのことを訊ねた。京都でどんな生活をしているのか、これからどうやって暮らしていくのか、そんな質問だったと思う。暮らしていくつもりなんかない、とお茶を舐めるひと呼吸の間を置いて、わたしは答えた。暮らしていくつもりなんかない、暮らしていきたいとさえ思ってない、そう言うと彼女は僅かに眉を上げた。内容に驚いたというよりも、むしろわたしが少しでも本心を語ろうとしたことに驚いたようだった。これまでそんなことを聞かれても、いつも同じように当り障り無く誤魔化した。生きていたくもないのだ、とゆっくりとした一息で穏やかに言葉を置いた。生きることがあたりまえに幸福なひとばかりじゃない、わたしにはそれが常に苦しいのだ。理解しなくてもいい、あなたにはどうせ一生理解などできまい、ただそういう人もいるのだと覚えておいて欲しい。そこまで言うと、ふぅん、と彼女は感想をもらして眉の位置を戻し、いつもの見慣れた興味の無い顔になった。そこまでがその時わたしにできた、最大限の妥協だった。続くべき言葉は言えなかった。わたしがあなたを恨み、わたしを産んだことを呪っていること、この世に生きることが苦痛なら、それをもたらしたお前を誰よりも憎んでいること。なんでわたしを産んだのだ、はじめから生まれてこなければよかったのに。それらの言葉はどうしても伝えられなかった。どうかあなたを恨ませてください、生きる苦痛を和らげるために、その怒りをぶつけるべき相手になってください。わたしの苦しみの加害者としてどうかあなたを憎ませてください。それが、わたしが何よりも言わなければならないことだったのだが。
 この世のすべての子を持つ親たちへ、わたしはあなたたちを憎悪したかった。生きることを無遠慮に押し付けた罪人として、わたしは日常の底知れぬ深みからあなたたちをねめつけようとした。ほんとうに、本心から、あなたたちを怨嗟したかったのだ。だが、もうやめよう。わたしは母を許そうと思う。その罪は、あなたの子孫がこの世界を踏む限り消えることは無いだろう、だがわたしはあなたを許そうと思う。子を持つ親たちへ、わたしはあなたたちを許す。だからどうか、もしあなたたちの子らが生きていることの苦しみに疲れ果て、やり場ない怒りの炎で自分自身を焼いてしまいそうになった時には、どうか、あなたたちを憎み、恨むことを許して欲しい。怒りを自分自身に向けてしまうのではなく、あなたたちにその憎しみをかぶせることを、どうか許してやって欲しい。
 親になる人々はみな、その覚悟をしているのだろうと、わたしも最近思うようにもなってきた。わたしは一生、子は作るまいと思っていた。そして子どものできた友人たちを軽蔑し、あるいは心の底で憎んでいたかもしれない。だがもし、わたしがわたしを許せるようになったならば、自分自身の罪としたこの苦しみを許せる日が来たならば、少なくとも苦痛からの慰安を家庭の誰かに求めようとはしないまでにはわたし自身を許すことができたなら、わたしも子を持つことがあるのだろうか。わたしはわたしと和解できるだろうか。今はまだ、わたしは自分を救えもしないが、いつかそのような日が来たらいい。