遠い友人

 春日井に女友達がいる。わたしは彼女の名前も知らない。
 わたしは彼女の何も知らない。顔の輪郭を描く曲線、電話越しいつもの挨拶と声の抑揚、160を越えない身長、左右非対称な鼻の形、窮屈な大足、スタイルの肉感とバストのサイズ、似合わない細身のネックレス、それからあだ名。それ以上のことはあまり知らない。
 知り合ってからもう一年半ほどが経つ。そしてそれ以来会ってない。ときどき電話をかけてくる。わたしからかけたことは無いだろう。あの日は簡素なスーツに書類挟みを持ち年齢の割に大人めいた仕草と冷ややかな沈黙をまとっていたが、電話やメールは饒舌で、早口と早口の間の時間に甘えた吐息と子供じみたさえずりを挟み込む。いつも初めの五分くらいはぶつぶつ途切れる報告調の硬い言葉を喋っているが、受話器を上げてしばらく経つと語尾のあがった仔犬の声に変わってしまう。彼女が語るのは自分のプライベートなことばかりで、例えば仕事場のことは話さない。政治や文学、環境問題、音楽やドラマや自動車レース、そんなことは何も話さない。彼女の話題は部屋の間取りや近所で飼われる犬であったり、家族旅行や新しく買った化粧品、便秘の具合と生理痛のこと、仲良しのイトコとその彼氏、いまやっているゲームについて。彼女は必ず一時間以上そんなことを喋る。
 わたしは彼女の名前を知らない。あの奇妙な愛称だけがわたしにとって彼女を呼称する手段である。わたしはあまり喋らない。彼女もわたしのことを知らない。わたしの本名と大学での身分、料理好きなことと、京都の鴨川近くに住んでいること、それ以上のことはなにも知ってはいないだろう。彼女を知るきっかけをつくった共通の知人は、彼女のことを何も教えなかったように、わたしのことも彼女に何も伝えていまい。そもそも彼も、わたしとさほど親しくもない。わたしは彼女に語るべきことがたぶんない。
 今週月火と電話があった。二日続きは珍しい。いつもは多くて月二回ほど、忘れかけた頃に固定電話のベルが鳴る。時間帯は一定していない。その日も常の吟味されない些事についての話題を一旦開いたが、中途で続けられなくなって受話器は息を飲み込んだまま背景の雑音を流し始めた。そうだねとよしよしと、その他いくつかの繰り返し言葉と沈黙のほかにせりふもト書きももらえない端役は半分まで開いた口のまま、読むべき行を彼女の手先が見つける時までひたすら待っている他はない。何か言いかけてはまた止める断続的な呼吸音だけが、きまりの悪い停滞の中で形になった。結局彼女が話そうとしたのは二年前に別れた男のことだった。十ばかり年上のその男のことを彼女はたまにほのめかしたが、はっきり語ったことはなかった。一年少しつきあってそれからついに別れたのだが、別れてからもいまだに関係が続いている。もう別れてからの期間の方が長いくらいなのにね、と彼女は言った。わたしに恋愛相談をすること自体すでに人選を間違えていて、そもそもこっちが相談したいくらいなのだが、それでも彼女は喋り続けた。その年齢差とは裏腹につい世話を焼いてしまうのだという。もう、これきりにしようと思ってそう言うのに、会わないでおこうって言ったらいつも、泣きそうな声でお願いされる。頼られるとどうしてもイヤっていえなくって、どこか頼られるのがうれしかったりして、それでいつも続いてしまう。ふだんはちっとも、こっちのことなんか気にもかけてもくれないのにね。疲れたような諦めたような、これまでに見せてくれたことのない声はあと一息でわたしの壁にも穴を開けかけたが、けれど自分自身の枷の重みをもう一度確かに呼び出して、そうだねとよしよしの慣れた言葉を再び紡ぐ。こん度こそこれきり会わないつもり。ぜっ対に。彼女はあとしばらくいつもの雑事を話してそれから二日分の電話を切った。さようなら、わたしはもう彼女からの電話を二度と受けない。