刺された言葉

 どうもいろんなところで不義理を重ねてしまっている。日常に限らず、ネットの中でも。それこそこのはてなの中でも。もともと人間関係などどうでもいいと一方では常に思っているわけで、そんなわたしが義理を欠きがちになるのは仕方のないことかもしれない。反対側の一方では、方々に申し訳なく思うのだけれど。結局のところわたしは自己のことしか考えてない――わたしは、あなたたちに興味がない。そう言い切れてしまうのは、とても悲しいことなのだけれど。この感情は不思議なものだ。誰にも信じてももらえないだろうが、こんなふうに書いた時、わたしは心底悲しんでいるのだ。どうしようもないよねという諦観しながら、「とても悲しいことなのだけれど」と述べたわたしは真実悲しんでいながらも、その感情の真実さに自分を酔わせ、酔うことでまがいものにしようとする。わたしの心の動きは醜い。
 昔に刺された言葉がうずく。あなたは、たくましいよね。かんたんには死なないと思うよ。二十歳頃わたしは電話魔だった。サークルで就いた役職ゆえのことではあったが、毎日数人と喋っていた。あわせれば日々数時間は回線を繋いだことになる。与えられた仕事ゆえ、と、わたしは言い訳にしてたのだろう。その時も、いつもの電話相手の一人と、恐らく一番よく話した相手と電話をしていた。たくましいよね。しんどい時にも、ほんとうにダメになっちゃったり、それこそ死んじゃったりする前に、タスケテってサイン、いつも出してるでしょ。そう言う彼女はわたしと同じように、わたし以上に、辛いものを抱え込んでいた人だった。死にたいとかって思っても、こんなふうに電話かけてきたり、むつかしそうな顔して一人で離れて座っていたり、意識しなくてもやれてるでしょ。だから、たくましいよね。彼女の言葉は正しかった。突きつけられた自分の像には吐き気がした。
 その夜に気づかされた醜悪さから、ずっと逃げようとしてきた。必死に抑えつけ、押し込め、だがこの本心を、わたし自身が自分の真実と思ったものを、本当でも嘘でもないものにしてしまうようなおぞましい弱さがいつも思ってもみないところから顔を出す。わたしは結局、彼女にしたのと同じようなことを何度も何度も繰り返してきた。今も繰り返そうとしているのだろう。わたしは何に代えてもそれを止めなければならない。