クズとして

 破れかぶれの精神というのが好きだ。いや、別に好きなわけじゃないが、しょっちゅうそんなふうになっていた。破れかぶれと言っても、なにもかも嫌になり自分を傷つけ自暴自棄に他人まで巻き込んで破滅してやろうという破れかぶれとは違う。普通にこの言葉を使うとこちらの意味になってしまうのだろうか。これはわたしが最も嫌い、軽蔑している姿勢である。もちろん、嫌いなのは自分がそれに陥ってしまいがちになるからだが。
 そんなのじゃなく、今のどうしようもなさを認めて、それがあまりに情けないことも自覚して、わたしには他にどうにもできないことが分かってアハハと笑う。自虐ではなく、笑い飛ばすしかないから笑うわけで自暴自棄になっているのとは違う。スピッツは「クズと呼ばれても笑う」と歌ったけれど、あの感覚が一番近い。わたしはわたしを捨てられるけれど、それは諦めて嫌になって捨てるんじゃなく、いや確かに諦めているのだけど、諦めているのは、しょうがないよね、と言うしかないような現状で、だから自分勝手と言われたってバカみたいと思われたって、そのバカみたいな自分を信じて自分自身を捨てていく。
 そんなふうに、たぶん意識せずできてたこともあったと思う。べつにいいものじゃないけど、それが自然にできたらいいと今も思う。そんな生き方すら、今は、作ろうとしなければできずにいる。そうした姿勢を作ったものは心底醜い。だからわたしは他のところへ、わたし自身を今こそ捨てようと思う。